北海道札幌市林檎屋さんから出ている詩誌。
このところ毎号のように掲載されている冒頭の荒巻義雄さんの「詩論」が、何かを啓発してくれる。今号、「詩論 いま考えていることー北海道新聞社文学賞詩部門受賞の弁に代えて」は、ソシュールに触れて「シニフィアン」と「シニフィエ」について、さらりと書いた後、
このように、言葉というものは、一つの単語から無数の意味内容が派
生してくるわけで、詩を書く者は、実は言葉を慎重に選び取りながら、
右に述べたような無数の内容を同時に物語っているのです。
言葉というものは地層になっています。累々として意味内容が重なっ
ているのです。詩人は、そのできるだけ深層で、隣接する異なる言葉と
連合させなければならない。
と、書く。「ねばならない」かどうかは置くとして、ここから、ドゥルーズの〈リゾーム〉の概念を使い、「水平方向」への「絡み合い」のイメージを喚起してくる。シニフィアンの過剰を前提として、シニフィアン相互の関係を取り結びながら、無数のシニフィエへと、また、関係の触手を伸ばす。脳細胞の触手と同じなのだ、この形態は。
そして、「地層」といえば、かつて伊藤比呂美が森鴎外の言葉の地層のことを語っていたが、あの時は、鴎外の持つ和語、漢語、外来語の地層と捉えていたが、同時にそれは、それぞれの言葉が指し示すものの多様な状態も語っていたのだ再認した。
で、これは、今回の芥川賞受賞作「abさんご」を考えるときのヒントにもなる。この小説が、詩ではなく小説なのだという確認になったのだ。さらに、荒巻義雄さんが触れているラカンの〈現実界、想像界、象徴界〉も、この詩論を離れて、ちょうど、読了した「abさんご」の精神構造を考えるときの参考になった。
他にピカソ、ブルトン、ツァラにも、気配を漂わせるようにさらりと触れている。それが、何だか、こっちの感覚を立ち止まらせるのだ。短いけれども、連想が広がる。表現が、次の表現への伝達となる、そんな文章である。結びの一句、この記号の森のなかで、
飼い慣らされてはいけません。
毎号掲載されている塩田涼子さんの連作「転身譚」の21は、こう始まる。このイメージが転身の風景を想起させる。
掌の中に包み込めるくらい小さな市街に
欠けはじめた月の明るさが浮ぶと
一面の
芒の穂が 銀粉をまぶされたように光り
(「転身譚21」第一連)
時間の流れがある。「欠けはじめた月」で、時間が移ろう。そして、「小さな市街」と「一面の芒」が空間の二重性を描いている。あっ、転身するのだ。まなざしは、どこにいくのかと思わせる。そして、詩の結び近くで、次のような詩句が現れる。
あの 無数の
死なない〈沈黙〉が通る
〈沈黙〉は、あるものではなく「通る」ものなのだ。よぎるものなのだ。そのあと、一行ごとの連が二つ続いて、「転身譚21」は閉じられる。
それから?
婚礼がはじまる
この詩誌の「2013年海外詩特集」も面白い。
工藤知子さんの訳でレオパルディの詩。「魚篇」の連作が楽しい吉村伊紅美さんが訳すダミール・ダミールの俳詩。木村淳子さんの訳、ベッツィ・ショルの詩。細野豊さんの訳すエンリケスの詩。いつも「饗宴」で出会わせてくれる海外の詩であり、読み応えがある。今回は(も)、エンリケスはいいな。それと、ダミール・ダミールは面白かった。
ダミール・ダミール、モンテネグロの詩人。ふたつだけ、引用。
純白の紙に刻みし初日の出
a landscape imprinted
in the whiteness of paper
first sunrise
静寂の空の刹那やうぐいすの声
the still sky
for a moment outshouted by
the nightingale
このところ毎号のように掲載されている冒頭の荒巻義雄さんの「詩論」が、何かを啓発してくれる。今号、「詩論 いま考えていることー北海道新聞社文学賞詩部門受賞の弁に代えて」は、ソシュールに触れて「シニフィアン」と「シニフィエ」について、さらりと書いた後、
このように、言葉というものは、一つの単語から無数の意味内容が派
生してくるわけで、詩を書く者は、実は言葉を慎重に選び取りながら、
右に述べたような無数の内容を同時に物語っているのです。
言葉というものは地層になっています。累々として意味内容が重なっ
ているのです。詩人は、そのできるだけ深層で、隣接する異なる言葉と
連合させなければならない。
と、書く。「ねばならない」かどうかは置くとして、ここから、ドゥルーズの〈リゾーム〉の概念を使い、「水平方向」への「絡み合い」のイメージを喚起してくる。シニフィアンの過剰を前提として、シニフィアン相互の関係を取り結びながら、無数のシニフィエへと、また、関係の触手を伸ばす。脳細胞の触手と同じなのだ、この形態は。
そして、「地層」といえば、かつて伊藤比呂美が森鴎外の言葉の地層のことを語っていたが、あの時は、鴎外の持つ和語、漢語、外来語の地層と捉えていたが、同時にそれは、それぞれの言葉が指し示すものの多様な状態も語っていたのだ再認した。
で、これは、今回の芥川賞受賞作「abさんご」を考えるときのヒントにもなる。この小説が、詩ではなく小説なのだという確認になったのだ。さらに、荒巻義雄さんが触れているラカンの〈現実界、想像界、象徴界〉も、この詩論を離れて、ちょうど、読了した「abさんご」の精神構造を考えるときの参考になった。
他にピカソ、ブルトン、ツァラにも、気配を漂わせるようにさらりと触れている。それが、何だか、こっちの感覚を立ち止まらせるのだ。短いけれども、連想が広がる。表現が、次の表現への伝達となる、そんな文章である。結びの一句、この記号の森のなかで、
飼い慣らされてはいけません。
毎号掲載されている塩田涼子さんの連作「転身譚」の21は、こう始まる。このイメージが転身の風景を想起させる。
掌の中に包み込めるくらい小さな市街に
欠けはじめた月の明るさが浮ぶと
一面の
芒の穂が 銀粉をまぶされたように光り
(「転身譚21」第一連)
時間の流れがある。「欠けはじめた月」で、時間が移ろう。そして、「小さな市街」と「一面の芒」が空間の二重性を描いている。あっ、転身するのだ。まなざしは、どこにいくのかと思わせる。そして、詩の結び近くで、次のような詩句が現れる。
あの 無数の
死なない〈沈黙〉が通る
〈沈黙〉は、あるものではなく「通る」ものなのだ。よぎるものなのだ。そのあと、一行ごとの連が二つ続いて、「転身譚21」は閉じられる。
それから?
婚礼がはじまる
この詩誌の「2013年海外詩特集」も面白い。
工藤知子さんの訳でレオパルディの詩。「魚篇」の連作が楽しい吉村伊紅美さんが訳すダミール・ダミールの俳詩。木村淳子さんの訳、ベッツィ・ショルの詩。細野豊さんの訳すエンリケスの詩。いつも「饗宴」で出会わせてくれる海外の詩であり、読み応えがある。今回は(も)、エンリケスはいいな。それと、ダミール・ダミールは面白かった。
ダミール・ダミール、モンテネグロの詩人。ふたつだけ、引用。
純白の紙に刻みし初日の出
a landscape imprinted
in the whiteness of paper
first sunrise
静寂の空の刹那やうぐいすの声
the still sky
for a moment outshouted by
the nightingale
本日ようやく葉書を出しつつ、メールすればいいと改めて思いつつ。
メール時のハンドルネーム忘れたし・・・で、Y様です!
いつもありがとうございます。ではでは。
ムラタさまのブログも拝見しております。
ご紹介ありがとうございます。