狩野川台風以来と騒がれている台風19号は、ほぼ予報通り19時頃に伊豆半島に上陸しました。夜が更けるに連れて、徐々に雨戸に打ち付ける雨音が激しさを増していき、轟々という風の音に言いようの無い不安さを掻き立てられます。
今日は出かける予定が昨晩のうちにキャンセルになったので、一歩も外へ出ない覚悟で昨夜のうちに買い物を済ませておき、雨戸を立てきってひたすら自宅に籠もっていました。時折外から聞こえる緊急車両のサイレンの音を聞いたり、スマホに流される自治体からの避難勧告メールを見たりしながら、ここ最近あまり出来ていなかった『何もしない日』を満喫していました。
そんな中で、今日は一昨日サントリーホールの帰りに久しぶりに買ったCDを聴いていました。それが上の写真のもので、《コーヒーの来た道 〜 欧州人は、いかにしてコーヒーに魅せられるに至ったか 〜 》というタイトルのものです。
ヨーロッパにコーヒーをもたらす切欠となったトルコ・イスタンブールにコーヒーを提供する店舗が現れたのは、16世紀初頭の頃と言われています。そして16世紀中頃になる頃には、イスタンブールにいくつものカフェがオープンすることとなりました。
当時のイスタンブールのカフェには大きな広間がいくつもあって、床にはペルシャ絨毯が敷き詰められ、日が落ちれば店内に沢山のランプが灯されました。気持ち良く飾り付けられたカフェ店内では、中央官僚や弁護士、教授に学生、後宮官吏に地方高官、街の名士に商人に旅人にといった様々な人々がコーヒーを飲みながら自由に意見交換ができる、画期的な場所となっていました。
開かれたサロンとしてのカフェでは、俗世間にいた様々な話し上手の人々…貧乏ではあるけれど知見豊かなインテリジェンスな人々までが自由に出入りし、詩の一節を披露したり即興で物語を語ったりしていました。勿論、そうした中には音楽家もいて、自らの技芸を遺憾なく発揮していたわけです。
しかし、そこからヨーロッパにまでコーヒーとカフェ文化が広まるには、更に1世紀もの時間が必要でした。しかし、ひとたびヨーロッパ社会に登場するや、コーヒーはたちまち社会現象とも言える影響を及ぼし始めます。コーヒーという飲み物だけでなく、カフェ(コーヒーハウス)という店も人々に新たな刺激を与える場所として注目を集めるようになりました。
そしてヨーロッパのカフェも様々な身分や職種の人が集う場となり、やがて定期的に音楽会を開くカフェも現れたのです。
このCDはヨーロッパにコーヒーをもたらす切欠となったオスマントルコ・イスタンブールの音楽と、コーヒーが伝えられたフランス・パリ、イギリス・ロンドン、ドイツ・ライプツィヒで作曲されたコーヒーにまつわる音楽作品を列挙したという、大変興味深いものです。
コーヒーにまつわる音楽といえば、バッハの《コーヒーカンタータ》が有名ですが、実はバッハ以外にもコーヒーにまつわるカンタータを作曲した人物がいました。それがニコラ・ベルニエという作曲家のもので、恐らく世界初録音ではないかと思われます。
はじめはトルコの笛ネイや、リュートの先祖であるウードによるトルコ風即興演奏がいくつかあり、その後にベルニエのカンタート、その名も《コーヒー》が始まります。
フルートと通奏低音による典雅でメランコリックな旋律の上に
「快きコーヒーよ、何処か人類未踏の地でもなければ、お前の香気で燃え上がる炎の美しさが知られていない場所などあるまい…」
とスタートするカンタートは、シンプルかつ優雅なメロディにのせてソプラノソロが
「好ましき液体ー私の魂をときめかす」
「夜毎優しく輝く星」
「太陽神アポロンが、お前の栄光を讃えてくれる」
「おお、汝わが最愛の液体よ」
と、まぁ聞いている方が些かくすぐったくなるようなコーヒーへの賛辞の嵐を連発します。逆に言えば、そのくらい当時のパリジャンやパリジェンヌはコーヒーに熱狂したのでしょう。
ロンドン編に登場するのは、当時のイギリスを代表するに作曲家マシュー・ロックによる《ファンタジア》です。当時、ロンドンに『トルコ人のクビ』という名のカフェがあり、ロックもそこによく通っていたようです。《ファンタジア》は先程のカンタートのような華やかさはありませんが、如何にも英国好みらしい弦楽器による静謐な音楽です。
そして、ドイツ・ライプツィヒのコーヒーミュージックといえば、言わずと知れたバッハの《コーヒーカンタータ》です。
当時のライプツィヒには『ツィマーマンカフェ』という有名なコーヒーハウスがあり、ライプツィヒの様々な人が行き交っていました。そこでは週末毎にバッハや彼の息子、弟子達によるコンサートが開かれていました。現在残されているバッハのチェンバロ協奏曲の殆どはここでの演奏のために書き下ろされたものと言われています。この《コーヒーカンタータ》も、そんな作品のひとつです。
カンタータ…とは言いながら楽譜を持って突っ立って歌うものではなく、これは最早小さなオペラと呼んでも過言ではないような楽しい作品です。語り手のテノールのレチタティーヴォに始まって、コーヒーにハマってしまったソプラノの娘とそれを嘆くバスの父親がコーヒーを飲む飲まないをめぐって滑稽なやり取りを繰り広げるドタバタ劇です。
娘が歌う
「ああ!本当に美味しいのコーヒーって。なんて甘美…愛しくてならないわ。1000回キスされてもああはならない…」
「コーヒー、私コーヒーが無いと本当にダメ。そう、もし誰か私を喜ばせたいなら、ああ!コーヒーを下さればいいのよ」
というアリアを聞いていると、ドイツ国内で如何にコーヒーが流行ったかを垣間見ることができます。
それでも何とか娘のコーヒー中毒を止めたい父親はあの手この手で娘を脅しにかかりますが、当の娘はどこ吹く風。しかし、結婚させないぞ!という父親の言葉に流石の娘もしおらしくなり、それを見届けて満足げな父親はお婿さんを連れに出かけて行きますが…。
最後はテノールも含めたトリオで
「若いお嬢さんはコーヒーと仲良し。
母親だってコーヒーを好きで飲み続けている。
婆ちゃんも同じようにしてたんだ。
だから、どうして娘だけを攻めることが出来るのか!」
と締め括ります。
嵐の夜に、楽しい音楽を楽しむことが出来ました。さて、あとは夜中の間に嵐に過ぎ去ってもらうだけです…。
皆さんも、くれぐれもお気をつけ下さいませ。