日比谷公園から皇居外苑に入ります、
地図でいうと皇居の下を左から右へと歩きました。
さすがにここは異空間、過去と現在を縦糸に
日本と世界を横糸に綾なす世界が広がっています。
日本橋の近くなのでまた行ってみたいですね。
桜田門、桜田壕の改修が行われていました。
1860年3月3日大雪の日の朝。井伊直弼らは彦根藩邸を出発し、江戸城へ向かっていました。
彼らが桜田門外に差しかかった時、総勢16名の脱藩した水戸浪士らが襲いかかってきたのです。
井伊大老暗殺の桜田門外の変以降、幕府の力にかげりが見えてくるようになってきました。
二重橋前広場。
平日なので人出はそれほどではないけどここに写っている人たちは
ほとんどが中国からの人たち、ここは天安門広場かいな・・・。
いわゆる”二重橋”。
石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。
「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称ですね。
大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない、
使用される時は皇居前広場・正門石橋・正門・正門鉄橋・宮殿というルートをたどります。
「正門石橋」奥の「正門鉄橋」。
「二重橋」とは正しくはこの橋です。
坂下門。
坂下門は春季・秋季の「乾通り」の桜や紅葉を観賞して乾門へ通り抜ける入場門となります。
行ってみたいけど物凄い人出なので躊躇し続けておりますです。
巽櫓。
江戸城の巽(東南)方向にあるのでこの名が、桜田二重櫓とも。
左奥は桔梗門、桔梗門は皇居参観者や勤労奉仕者が出入りする門になります。
この辺りの光景はかつての江戸城の面影を 残す美しい景観の重要文化財です。
大手門。
旧江戸城の正門で、慶長12年(1607年)藤堂高虎によって1年3ヶ月ほどで完成 。
さすがに堂々とした立派な門、
お約束ですが、門を入ったらすぐに右に曲がって二の門へ続きます。
大手門から見た二の門、
敵兵が攻めてきたとき直進を遮るため直角に曲がっている、
これによって「怒涛のように押し寄せる」のを防ぐためです。
桝形構造と言われほとんどの城でこの形になっています。
大手門二の門の防御。
現在の重機をもってしても打ち破るのには苦労しそう、
当時の人馬では手も足も出なかったでしょうね。
将門塚。
大手門は日本橋に繋がっていますが一つ先の道、常盤橋へ通じる道へ。
読売新聞、産経新聞などが並んでいる道の並びに将門の首塚、
ちょうどお昼過ぎだったので近くのサラリーマンの姿もありました。
切り落とされた平将門の首が宙を飛んで帰ってきた。
飛ばされたサラリーマンが帰ってこられる、、、とのご利益があって?
とにかくサラリーマンに人気のある将門塚です。
このあと会社に入り夕方までつまんなぁ~~~い研修、
時間の無駄だから止めてくりーーー!。
1月26日
地図でいうと皇居の下を左から右へと歩きました。
さすがにここは異空間、過去と現在を縦糸に
日本と世界を横糸に綾なす世界が広がっています。
日本橋の近くなのでまた行ってみたいですね。
桜田門、桜田壕の改修が行われていました。
1860年3月3日大雪の日の朝。井伊直弼らは彦根藩邸を出発し、江戸城へ向かっていました。
彼らが桜田門外に差しかかった時、総勢16名の脱藩した水戸浪士らが襲いかかってきたのです。
井伊大老暗殺の桜田門外の変以降、幕府の力にかげりが見えてくるようになってきました。
二重橋前広場。
平日なので人出はそれほどではないけどここに写っている人たちは
ほとんどが中国からの人たち、ここは天安門広場かいな・・・。
いわゆる”二重橋”。
石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。
「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称ですね。
大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない、
使用される時は皇居前広場・正門石橋・正門・正門鉄橋・宮殿というルートをたどります。
「正門石橋」奥の「正門鉄橋」。
「二重橋」とは正しくはこの橋です。
坂下門。
坂下門は春季・秋季の「乾通り」の桜や紅葉を観賞して乾門へ通り抜ける入場門となります。
行ってみたいけど物凄い人出なので躊躇し続けておりますです。
巽櫓。
江戸城の巽(東南)方向にあるのでこの名が、桜田二重櫓とも。
左奥は桔梗門、桔梗門は皇居参観者や勤労奉仕者が出入りする門になります。
この辺りの光景はかつての江戸城の面影を 残す美しい景観の重要文化財です。
大手門。
旧江戸城の正門で、慶長12年(1607年)藤堂高虎によって1年3ヶ月ほどで完成 。
さすがに堂々とした立派な門、
お約束ですが、門を入ったらすぐに右に曲がって二の門へ続きます。
大手門から見た二の門、
敵兵が攻めてきたとき直進を遮るため直角に曲がっている、
これによって「怒涛のように押し寄せる」のを防ぐためです。
桝形構造と言われほとんどの城でこの形になっています。
大手門二の門の防御。
現在の重機をもってしても打ち破るのには苦労しそう、
当時の人馬では手も足も出なかったでしょうね。
将門塚。
大手門は日本橋に繋がっていますが一つ先の道、常盤橋へ通じる道へ。
読売新聞、産経新聞などが並んでいる道の並びに将門の首塚、
ちょうどお昼過ぎだったので近くのサラリーマンの姿もありました。
切り落とされた平将門の首が宙を飛んで帰ってきた。
飛ばされたサラリーマンが帰ってこられる、、、とのご利益があって?
とにかくサラリーマンに人気のある将門塚です。
このあと会社に入り夕方までつまんなぁ~~~い研修、
時間の無駄だから止めてくりーーー!。
1月26日