今年の初詣は
向島百花園内にある福禄寿さまです。

向島百花園に入ってすぐの広場には
隅田川七福神の一つ福禄寿が祀られています。
これは佐原鞠塢(きくう)が所有していたといわれるもので
仲間と残り六神を選んで七福神としたので
隅田川七福神の発祥の地といわれています。
”佐原鞠塢は日本橋で骨董屋として財をなした人、晩年この地に多賀屋敷跡を買い求め、
親しくしていた文化人の太田南畝(蜀山人)、亀田鵬斉(ほうさい)、谷文晁、
などから寄贈された梅樹三百六十株を植え、梅園としました。
そのうちに秋草を始め草木の数も増え、江戸市民の絶好の行楽地となりました。
ちょうど文化・文政期(1804~30)にあたり、江戸町人文化の最も栄えた時代でもあって、
人々は花と親しみながら茶を喫し、隅田川焼き(楽焼きの一種)を楽しみました。
この評判を聞き、時の十一代将軍家斉(いえなり)もこの庭園を訪れています。”
福禄寿は出身地は中国です、福寿を司るとされる南極星の精と考えられていました。
百花園自体は休園ですがここの広場だけは三が日無料開放、
隅田川七福神を巡る初詣の人たちでにぎわっています。

向島百花園内にある福禄寿さまです。

向島百花園に入ってすぐの広場には
隅田川七福神の一つ福禄寿が祀られています。
これは佐原鞠塢(きくう)が所有していたといわれるもので
仲間と残り六神を選んで七福神としたので
隅田川七福神の発祥の地といわれています。
”佐原鞠塢は日本橋で骨董屋として財をなした人、晩年この地に多賀屋敷跡を買い求め、
親しくしていた文化人の太田南畝(蜀山人)、亀田鵬斉(ほうさい)、谷文晁、
などから寄贈された梅樹三百六十株を植え、梅園としました。
そのうちに秋草を始め草木の数も増え、江戸市民の絶好の行楽地となりました。
ちょうど文化・文政期(1804~30)にあたり、江戸町人文化の最も栄えた時代でもあって、
人々は花と親しみながら茶を喫し、隅田川焼き(楽焼きの一種)を楽しみました。
この評判を聞き、時の十一代将軍家斉(いえなり)もこの庭園を訪れています。”
福禄寿は出身地は中国です、福寿を司るとされる南極星の精と考えられていました。
百花園自体は休園ですがここの広場だけは三が日無料開放、
隅田川七福神を巡る初詣の人たちでにぎわっています。
