今戸神社は「婚活神社」としても知られる神社、
祭神はイザナギノミコトとイザナミノミコト、この夫婦神のせいかな。
そしてここは今戸焼という焼き物を生産していたことでも有名な場所、
今戸焼は素焼きで日用雑器、茶道具、火鉢、植木鉢、瓦等を生産した。

招き猫発祥の地と言われるが、これには他の説もある。
鳥居の前では招き猫がお出迎え。

鳥居をくぐると境内にはたくさんの絵馬、ここの絵馬は円形。
「角が立たない」「円満に収まる」ようにと角をとってあるのだとか、
「円」と「縁」をかけ合わせて、他にはない真ん丸な絵馬です。
(このおネエさんとは後でまた会うことになります)

夢は果てしなく・・・・・・・・!。

新選組・沖田総司の終焉の地ともいわれている。
これは結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が
当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきている。
沖田総司の没地には、千駄ヶ谷の植木屋平五郎方と今戸八幡宮の二説ある。

浅草名所七福神のうちのひとつ、ちょっと小柄だけど立派な建物です。

拝殿にあるのは、今戸焼きでできた大きなペアの招き猫
目が大きくて顔立ちもキュート!。
左手を上げた「金運招福」の招き猫が多いけど、
ここの招き猫は右手を上げた「人客(良縁)招福」の招き猫。

境内にはいろいろな招き猫がいっぱい、
社務所には招き猫コレクションもあってここは招き猫ワールドですね。

待乳山聖天と今戸神社の中間に竹屋の渡し。
「竹屋の渡し跡」の碑、「向島の渡し」とも称されたが
待乳山聖天のふもとにあったことから「待乳(まつち)の渡し」とも。
「竹屋」の名は付近にあった茶屋の名に由来するという。
当時の渡し船は当然のことながら時刻表があって運行していたわけではなく、
客が集まれば適宜 舟を出していた。
舟が対岸に行っている時は大声で呼び寄せたものらしい。
「竹屋」の女主人が 150m先の対岸の舟を呼ぶ「タケヤ~!」の美声が有名だったという。
竹屋の渡しは次回訪れる山谷掘が隅田川に注ぐ辺り。
昔の隅田川の花火はずっと下流で行われたけど
せっかくなのでちょっと早いスミダノハナビを明日あたりにね。
6月5日 奥浅草散歩・今戸神社

祭神はイザナギノミコトとイザナミノミコト、この夫婦神のせいかな。
そしてここは今戸焼という焼き物を生産していたことでも有名な場所、
今戸焼は素焼きで日用雑器、茶道具、火鉢、植木鉢、瓦等を生産した。

招き猫発祥の地と言われるが、これには他の説もある。
鳥居の前では招き猫がお出迎え。

鳥居をくぐると境内にはたくさんの絵馬、ここの絵馬は円形。
「角が立たない」「円満に収まる」ようにと角をとってあるのだとか、
「円」と「縁」をかけ合わせて、他にはない真ん丸な絵馬です。
(このおネエさんとは後でまた会うことになります)

夢は果てしなく・・・・・・・・!。

新選組・沖田総司の終焉の地ともいわれている。
これは結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が
当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきている。
沖田総司の没地には、千駄ヶ谷の植木屋平五郎方と今戸八幡宮の二説ある。

浅草名所七福神のうちのひとつ、ちょっと小柄だけど立派な建物です。

拝殿にあるのは、今戸焼きでできた大きなペアの招き猫
目が大きくて顔立ちもキュート!。
左手を上げた「金運招福」の招き猫が多いけど、
ここの招き猫は右手を上げた「人客(良縁)招福」の招き猫。

境内にはいろいろな招き猫がいっぱい、
社務所には招き猫コレクションもあってここは招き猫ワールドですね。

待乳山聖天と今戸神社の中間に竹屋の渡し。
「竹屋の渡し跡」の碑、「向島の渡し」とも称されたが
待乳山聖天のふもとにあったことから「待乳(まつち)の渡し」とも。
「竹屋」の名は付近にあった茶屋の名に由来するという。
当時の渡し船は当然のことながら時刻表があって運行していたわけではなく、
客が集まれば適宜 舟を出していた。
舟が対岸に行っている時は大声で呼び寄せたものらしい。
「竹屋」の女主人が 150m先の対岸の舟を呼ぶ「タケヤ~!」の美声が有名だったという。
竹屋の渡しは次回訪れる山谷掘が隅田川に注ぐ辺り。
昔の隅田川の花火はずっと下流で行われたけど
せっかくなのでちょっと早いスミダノハナビを明日あたりにね。
6月5日 奥浅草散歩・今戸神社
