出る前にマップを眺めていたら、あれ!?
狭~い範囲に神社やお稲荷さんが点在している。
メジャーな神社もあれば見落としそうなお稲荷さんまで、
みんな歩いて5分くらい、これは行ってみなくちゃね。
小伝馬町から人形町の方へ歩いて10分、左に「三光稲荷」。
車も通れない狭い道は”三光新道”、これは”さんこうじんみち”と発音する、
江戸にはたくさんの”新道”があるけどみんな”じんみち”と言う。
ここは落語にも登場するけど最近の落語家は”しんみち”という、嘆かわしいことだ。
「三光稲荷神社」
江戸時代にはいなくなった猫を探す祈願がたくさん寄せられ、
猫が見つかったお礼として猫の置物が奉納されている。
元の道に戻って人形町交差点の手前を左、「橘稲荷神社」。
オフィス街のビルの足元に社殿もなくむき出しで・・・
元々御殿山にあった稲荷で後に奥医師・岡本玄冶(おかもとげんや)に下賜されたもの。
失礼ながらちょっと大きな犬小屋?。 m(_ _)m
岡本玄冶は、拝領屋敷を借家にして貸し出したことから、
ここら一帯は「玄冶店(げんやだな)」と呼ばれていた。
通りまで戻ると「玄冶店跡」の石柱と説明板。
歌舞伎の「与話情浮名横櫛」通称「切られ与三郎」、
1954年に大ヒットした歌謡曲「お富さん」の舞台はここ。
玄冶店からUターン、日本橋へ行く道筋に「出世稲荷」。
ここはマップで見ると建物の中に表示されている、
マップどおりアパートの中にあった!。
自転車とかいろいろなガラクタ(失礼)の間を通って奥の赤い幟の所まで行く。
正面のブロック塀に住居表示の青いプレートがある、
お稲荷さんの住居として認められているわけだ。
初代市川団十郎が日参して出世したことから有名になった。
さらに数分で「椙森神社(すぎのもりじんじゃ)」。
江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷とも。
祭神は日本橋七福神の恵比寿神、そしてただいま化粧直し中。
椙森稲荷の「富塚」。
江戸庶民の信仰を集め当たりくじ富興行も行われていた。
神社が街の中心にあるため、江戸三富の一つにも数えられるほど数多くの
富くじが興行されたことが記録に残されている。
近くの道路にはこんなタイルが貼られていた、当時の富突きの様子だね。
5分も歩けば日本橋、COREDO室町横の「福徳神社」。
この神社の歴史は古く1200年前には既にあったらしい。
源義家・太田道灌など武将からの尊崇も篤く、
徳川家康・秀忠も参詣に訪れたといわれている。
福徳神社は江戸神社富籤の発行を許された数少ない社寺の一社。
富籤興行の最盛期には多いときは江戸だけで31ヶ所で発行された、
福徳の名にちなんで今では宝くじ当選を祈るパワースポットに。
すぐ近くの日本銀行貨幣博物館に当時の富くじが現存しているらしい。
福徳神社の隣はCOREDO室町1と2、
再開発によってすっかりおしゃれな街に変貌し
銀座と並ぶショッピング街となった。
しかし、江戸の面影は色濃く残り
たくさんの老舗が当時の街を彷彿とさせる。
時移り世の中は変わっても
日本橋はやっぱり江戸の街として残っている。
6月22日 日本橋の神様を訪ねて
狭~い範囲に神社やお稲荷さんが点在している。
メジャーな神社もあれば見落としそうなお稲荷さんまで、
みんな歩いて5分くらい、これは行ってみなくちゃね。
小伝馬町から人形町の方へ歩いて10分、左に「三光稲荷」。
車も通れない狭い道は”三光新道”、これは”さんこうじんみち”と発音する、
江戸にはたくさんの”新道”があるけどみんな”じんみち”と言う。
ここは落語にも登場するけど最近の落語家は”しんみち”という、嘆かわしいことだ。
「三光稲荷神社」
江戸時代にはいなくなった猫を探す祈願がたくさん寄せられ、
猫が見つかったお礼として猫の置物が奉納されている。
元の道に戻って人形町交差点の手前を左、「橘稲荷神社」。
オフィス街のビルの足元に社殿もなくむき出しで・・・
元々御殿山にあった稲荷で後に奥医師・岡本玄冶(おかもとげんや)に下賜されたもの。
失礼ながらちょっと大きな犬小屋?。 m(_ _)m
岡本玄冶は、拝領屋敷を借家にして貸し出したことから、
ここら一帯は「玄冶店(げんやだな)」と呼ばれていた。
通りまで戻ると「玄冶店跡」の石柱と説明板。
歌舞伎の「与話情浮名横櫛」通称「切られ与三郎」、
1954年に大ヒットした歌謡曲「お富さん」の舞台はここ。
玄冶店からUターン、日本橋へ行く道筋に「出世稲荷」。
ここはマップで見ると建物の中に表示されている、
マップどおりアパートの中にあった!。
自転車とかいろいろなガラクタ(失礼)の間を通って奥の赤い幟の所まで行く。
正面のブロック塀に住居表示の青いプレートがある、
お稲荷さんの住居として認められているわけだ。
初代市川団十郎が日参して出世したことから有名になった。
さらに数分で「椙森神社(すぎのもりじんじゃ)」。
江戸城下の三森(烏森神社、柳森神社、椙森神社)の一つに数えられ、椙森稲荷とも。
祭神は日本橋七福神の恵比寿神、そしてただいま化粧直し中。
椙森稲荷の「富塚」。
江戸庶民の信仰を集め当たりくじ富興行も行われていた。
神社が街の中心にあるため、江戸三富の一つにも数えられるほど数多くの
富くじが興行されたことが記録に残されている。
近くの道路にはこんなタイルが貼られていた、当時の富突きの様子だね。
5分も歩けば日本橋、COREDO室町横の「福徳神社」。
この神社の歴史は古く1200年前には既にあったらしい。
源義家・太田道灌など武将からの尊崇も篤く、
徳川家康・秀忠も参詣に訪れたといわれている。
福徳神社は江戸神社富籤の発行を許された数少ない社寺の一社。
富籤興行の最盛期には多いときは江戸だけで31ヶ所で発行された、
福徳の名にちなんで今では宝くじ当選を祈るパワースポットに。
すぐ近くの日本銀行貨幣博物館に当時の富くじが現存しているらしい。
福徳神社の隣はCOREDO室町1と2、
再開発によってすっかりおしゃれな街に変貌し
銀座と並ぶショッピング街となった。
しかし、江戸の面影は色濃く残り
たくさんの老舗が当時の街を彷彿とさせる。
時移り世の中は変わっても
日本橋はやっぱり江戸の街として残っている。
6月22日 日本橋の神様を訪ねて