東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

刑場跡の寺は「延命寺」

2021-01-21 | 散歩

  小塚原回向院からちょい歩いて
  線路と線路の間かな、延命寺があります。
  この辺はややこしくて、あまり行かない私はどう歩いたらいいのやら、
  大雑把には分かるんだけどあまり行きたくないところです。

 

   延命寺。
   延命寺は、もとは小塚原回向院の一部でしたが、明治28(1895)年、
   土浦線(現在のJR常磐貨物線)敷設工事のために線路によって分断され、
   昭和57(1982)年に線路の南側の部分が延命寺として開山しました。

 

 

   江戸時代ここには小塚原刑場があり、品川の鈴ヶ森刑場と並ぶ江戸の刑場で、
   明治時代始めに廃止されるまで、磔(はりつけ)・斬首などが執行されていました。
   刑場の入口にあった「首切地蔵」は、4メートル近くもあります。
   ここは刑死者の菩提を弔うために、寛保元年(1741)に建てられました。
   この地蔵は、無縁となった人々の霊を静かに見守っています。

 

 

   足元にはたくさんのお地蔵様。
   明治になって刑場が廃止され寺は一般の寺のように
   信者の願いを聞いたり力になってきました。
   願いが叶った人たちがお地蔵様を寄進したものだそうです。

 

 

   後を走るのはJR常磐線、左には地下鉄日比谷線が走っています。
   鉄道の間にある延命寺、電車の窓からもお地蔵様が見られました。
   お寺の名前「延命寺」は、首切り地蔵が延命地蔵尊であることに由来していると言われています。

 

 

   高さが4メートル近くあるかなり大きなお地蔵さんは、
   27個の花崗岩を組んで作られているとのことです。
   東日本大震災の折りお地蔵さまは大きくズレてしまいました、
   そのあと寄付を募って修復されましたが
   そのときの様子をパネルにして展示してありました。

 

 

   目の前は地下鉄南千住駅と跨線橋、金網が写ってしまいましたね、修行が足らん。
   眼下に広がるのは日本有数の広さを誇るJR貨物の隅田川駅。
   こんなものじゃないもっと広いけど大き過ぎて全景が撮れる場所が無い。

 

 

   地下鉄日比谷線・南千住駅に入る電車、
   私も電車通勤のときはこれに乗ります。
   下の方にカメラを構える青いジャンパーの人、
   跨線橋ではしばらく一緒でした、貨物線を撮るなんて渋い撮り鉄さんですね。

 

 

   跨線橋の向こうは土手通りかな、すぐ向こうで明治通りと交わります。
   以前は川が流れていて架かっていた橋が「泪橋」、
   処刑場へ引かれる罪人はここで送ってきた人たちと別れます、
   もう再び会うことができないこの世の別れ、涙、涙の別れでした。

   「泪橋」で最後の別れをして、「延命寺」のある小塚原刑場で処刑され、
   「回向院」で埋葬・供養されるという、
   江戸時代のダークな歴史がここには息づいています。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月14日  江戸時代の秘められた黒歴史

          

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コツ通りを抜け小塚原回向院

2021-01-20 | 散歩

  自虐ではないと思うけどコツ通り、
  江戸時代の刑場跡を一発で表していますね。
  素戔雄神社から自転車で10分かからないかな、
  JR常磐線などたくさんの線路が走る所にありました。

 

   日光街道にぶつかる直前のコツ通りに
   「コツ通り整骨院」、コツと整骨院をかけているのかな。

 

 

   小塚原刑場での死体はちゃんと埋葬されなかったため、
   夏には周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が
   食い散らかして地獄のような様相でした。
   この様子を見た墨田区の回向院住職が刑死者を供養するため
   創建したのが小塚原回向院で、処刑された罪人を葬りました。

 

 

   回向院の壁には、歴史の教科書で見覚えのある、あの前野良沢、
   杉田玄白の「解体新書」の扉絵がついた記念碑があります。
   「解体新書」作成のお手本である“ターヘル・アナトミア”の
   人体解剖図を検証するため、前野良沢、杉田玄白らが
   小塚原刑場を訪れたことを記念しています。

 

 

   明治維新への精神的指導者と云われる「吉田松陰」の墓です。
   1863年に高杉晋作らによって世田谷区若林に改葬され、
   その地に松陰神社が建立されたので、
   ここには当時の墓石だけが文化財として保存されています。

 

 

   開国派として危険視された「橋本左内」の墓。
   政治犯であった彼らの処刑は、小塚原刑場ではなく
   伝馬町牢屋敷でしたが、罪人として回向院に葬られました。

 

 

   変わった人たちのお墓もありました。
   明治初期の稀代の悪婦として知られ、最初の夫を毒殺後、
   各地を放浪しながら悪事を重ねた『高橋お伝』。
   江戸時代の侠客で、喧嘩で深手を負った自分の片腕が見苦しいと、
   子分に鋸で切り落とさせた伝説の持ち主『腕の喜三郎』。

 

 

   江戸時代後期に大名屋敷を専門に荒らした有名な窃盗犯『鼠小僧次郎吉』。
   鼠小僧次郎吉の本来の墓は墨田区の回向院で、
   この墓石は義賊に恩義を受けた人々が建てたと言われています。
   何れも小塚原刑場で処刑されたけど鼠小僧の墓は谷中にもあったような、
   ご利益があると受験生などに削られもうボロボロになっていたけど。

 

 

   何の碑か分からなかったけど大きな"石板"が立っていた、
   例のモノリスみたいだなと撮ってみたけど悪ふざけが過ぎたかな。

   次回は元々一緒だった「延命寺」を訪れてみます、
   鉄道を引くため別れたけど元は同じです。
   そして刑場へ引かれる罪人たちが現世との別れの場となった
   泪橋を望みながらJR隅田川駅などもチラと見てみましょう。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月14日  南千住・小塚原回向院

          

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素盞雄神社にある富士山

2021-01-19 | 散歩

  きれいな富士がなかなか見られない、
  かくなる上は地上の富士山を見てみよう。
  素盞雄神社に浅間神社がある、
  とりあえずここへ寄ってみよう。

 

   今までもちょこっと載せてきたけど改めて見てみました。
   小高い山になっていてまあ標準的な富士塚と言うところかな。

 

 

   見ると石段があって登れるみたいだけどどうだろう、
   今は横に渡した竹が立ち入りを拒否している。

 

 

   素盞雄の大神がが光とともに降臨した小さな塚の中に
   「瑞光石(ずいこうせき)」あった、
   この瑞光石のある小さな塚から「小塚原」と言う地名が
   起こりこの辺りは小塚原と呼ばれるようになった。
   後年江戸時代になってここは罪人の首切り場になり
   小塚っ原と呼ばれいろいろな物語が始まる。

   小塚っ原の由来が分かったので
   あとですぐ近くにある関連する寺などに行ってみよう。

 

 

   さて元に戻って、
   富士塚の頂上には浅間神社が、
   なんとも素朴でいい神社だね。

 

 

   裏側にも小さな鳥居とともに登り口があった、
   祭礼の折りには神官などが登山するのかな。

 

 

   富士塚のあちこちには富士講のみんなが立てたんだろうね
   いろいろな石の碑が立ち並ぶ。

 

 

   ここは夏になるとアジサイが麓を取巻く
   涼しそうでいい感じなんだけどね。
   今はドライフラワーになったアジサイが残っていた。

 

 

   いろいろな色の葉があってきれいだね、
   昔の人たちはこうして富士を楽しんでいたのかな。

   素盞雄神社の前の日光街道を渡ると
   そこは「コツ通り」、刑場があったところにコツ通り。
   ブラックユーモアみたいだけどコツ通り商店街などもあって
   地元の人たちは結構楽しんでいるみたい。
   次回は牢死者や刑死者等を供養するために
   この地に創設された回向院を訪ねてみましょう。

 

          data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月14日  素盞雄神社の富士塚

          

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地獄もお休み、初閻魔

2021-01-18 | 散歩

  1月16日は藪入りであるとともに初閻魔、
  藪入りの日は商店の丁稚などにお休みが与えられるけど
  地獄の鬼たちもお休みだとか。
  閻魔様のご機嫌を伺いにお詣りしてきました。

 

   やってきたのは北千住にある「勝専寺」、
   山門が赤いので赤門寺とも。
   「三宮神山」の扁額は明治12年の作、
   明治天皇の寺への行幸を記念して掲げられました。
   足立区の登録文化財です。

 

 

   外は日陰になっていたけど内側から見ると日が当たっていて
   さらにきれいな朱色、目が覚めるような色です。
   ここは鷹狩に来た徳川秀忠をはじめ歴代の将軍の休息所となり
   日光への墓参の折りにも数日滞在するなど本陣の代わりとなりました。

 

 

   横手にある入口、こちらから来たんだけど
   いつも初閻魔の縁日にはこの門から溢れそうになるくらい並んでいる
   露店が一軒もない、密を防ぐため縁日は中止されたようですね。

 

 

   改めて赤門へ続く参道を北千住の通りから見てみました、
   ここも隙間なくぎっしりと露店が並ぶけど一軒もありません。
   来る前にネットで調べてきたけどどこにも中止の文字はなかった・・・。

 

 

   改めて寺へ戻ってきました、独特の形をした本堂。
   明治39(1906)年の建立でコンクリート造で化粧レンガに
   覆われています、
   上には地蔵菩薩と観音菩薩が山門に向かって立っている、
   極めて独特の様式ですが建設当時は多くの人が驚いたと言われています。

 

 

   鐘楼は千住地域の時の鐘として役立っていたけど
   一度破損、明治24(1891)年再建されました。
   江戸のころにはこの鐘の音が聞こえる範囲の
   人々からはいくばくかの料金?を取っていたようです。
   今では朝晩と大晦日の除夜の鐘が撞かれるとか。

 

 

   境内には馬頭観音堂がありました。
   馬頭観音は宿場の運送業者の守護神です、
   千住は古くからの宿場町であったため祀られたのでしょう。
   他の宿場町、板橋などにもたくさんの馬頭観音が見られます。

 

 

   ご本尊の閻魔大王。
   閻魔大王堂には寛政元年(1789)に開眼された
   「閻魔様」が鎮座されています。
   この像も足立区の登録文化財に指定されています。
   しばらく迎えに来なくていいよと言っておいたけど聞こえたかしらん。

   あの雑踏が怖いけど行ってもいいのかなと躊躇し、
   朝早くだったらそんなに混んでもいないだろうと行ってきました。
   あにはからんや露店は一軒もなく拍子抜けでしたが
   まあ人ごみに揉まれることもなくホッとしたり、、、
   これも閻魔様のご加護かなぁ。

 

         data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月16日  足立区・勝専寺

         

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公園に鳥たちは来てるかな

2021-01-17 | 鳥たち

  まあこの時期なので何もないのは仕方ないけど
  せめて鳥たちの姿でも見たいものだ。
  でも人間の姿の方がずっと多い、
  しかしその中にカメラさんたちの姿はなかった。

 

   寒いせいなのかな一週間前とあまり変わっていませんでした、
   「八重寒紅」、日当たりはいいんだけどね。

 

 

   梅一輪 一輪ほどの暖かさ・・・
   昼間は暖かいけど朝晩はやっぱりね。

 

 

   寒桜、やっぱり桜と名がつくと暖かそう。
   梅は冬、桜は春ということですねぇ。

 

 

   オウバイ(黄梅)が一輪咲いているのを見っけ。
   花が梅に似ていて色が黄色だからと、
   でもあまり梅に似ているとは思えないけどね。

 

 

   遠~くの木にツグミを発見、今季初のお目見えだね。
   ふ~よかった、今日も空身で帰るのかと思っていたよ。

 

 

   ツグミは地面を歩いていることが多く
   木の上にいるのは珍しいような。

 

 

   さてこのあとはジョウビタキとかモズが来てくれればいいな、
   いま百花園は閉園中なので一生懸命に農業公園へ通おうかな。

 

 

   ポカポカと暖かかった芝生広場
   人出はやっぱり多かったような、
   ここは思いっきり体を使って遊ぶ公園
   子供連れの家族が多く見られます。

   この日の最高気温は8.1℃、
   お日さまが頑張ってくれたので体感的には暖かだった。
   これでコロナさえなければわが世の春なんだけど・・・。

 

          data: EOS70D/EF70-200 1:2.8。 撮影 1月10日  都市農業公園

          

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