小塚原回向院からちょい歩いて
線路と線路の間かな、延命寺があります。
この辺はややこしくて、あまり行かない私はどう歩いたらいいのやら、
大雑把には分かるんだけどあまり行きたくないところです。
延命寺。
延命寺は、もとは小塚原回向院の一部でしたが、明治28(1895)年、
土浦線(現在のJR常磐貨物線)敷設工事のために線路によって分断され、
昭和57(1982)年に線路の南側の部分が延命寺として開山しました。
江戸時代ここには小塚原刑場があり、品川の鈴ヶ森刑場と並ぶ江戸の刑場で、
明治時代始めに廃止されるまで、磔(はりつけ)・斬首などが執行されていました。
刑場の入口にあった「首切地蔵」は、4メートル近くもあります。
ここは刑死者の菩提を弔うために、寛保元年(1741)に建てられました。
この地蔵は、無縁となった人々の霊を静かに見守っています。
足元にはたくさんのお地蔵様。
明治になって刑場が廃止され寺は一般の寺のように
信者の願いを聞いたり力になってきました。
願いが叶った人たちがお地蔵様を寄進したものだそうです。
後を走るのはJR常磐線、左には地下鉄日比谷線が走っています。
鉄道の間にある延命寺、電車の窓からもお地蔵様が見られました。
お寺の名前「延命寺」は、首切り地蔵が延命地蔵尊であることに由来していると言われています。
高さが4メートル近くあるかなり大きなお地蔵さんは、
27個の花崗岩を組んで作られているとのことです。
東日本大震災の折りお地蔵さまは大きくズレてしまいました、
そのあと寄付を募って修復されましたが
そのときの様子をパネルにして展示してありました。
目の前は地下鉄南千住駅と跨線橋、金網が写ってしまいましたね、修行が足らん。
眼下に広がるのは日本有数の広さを誇るJR貨物の隅田川駅。
こんなものじゃないもっと広いけど大き過ぎて全景が撮れる場所が無い。
地下鉄日比谷線・南千住駅に入る電車、
私も電車通勤のときはこれに乗ります。
下の方にカメラを構える青いジャンパーの人、
跨線橋ではしばらく一緒でした、貨物線を撮るなんて渋い撮り鉄さんですね。
跨線橋の向こうは土手通りかな、すぐ向こうで明治通りと交わります。
以前は川が流れていて架かっていた橋が「泪橋」、
処刑場へ引かれる罪人はここで送ってきた人たちと別れます、
もう再び会うことができないこの世の別れ、涙、涙の別れでした。
「泪橋」で最後の別れをして、「延命寺」のある小塚原刑場で処刑され、
「回向院」で埋葬・供養されるという、
江戸時代のダークな歴史がここには息づいています。
data: PowerShot G7X MarkⅡ。 撮影 1月14日 江戸時代の秘められた黒歴史