はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

北条鉄道 法華口駅にて

2019-01-18 19:07:07 | 鉄道
北条鉄道の法華寺口駅に行ってきました。北条鉄道は兵庫県の南西部を走るローカル線です。



法華寺口という駅名は、前回のブログで紹介した法華山一乗寺への最寄駅ということでしょうが、歩けば1時間以上はかかると思います(笑)



登録有形文化財の木造の素敵な駅舎です。中にはパン工房があるんですよ。



実は、この駅に来たのは3回目になります。前回は、女性のボランティア駅長さんが撮りたくてやって来たのでした。



1回目はお休みでしたが、2回目にやっと凛々しい姿を撮ることができました。その駅長さんも2017年の10月に退任されました。



北条方面から列車がやって来ました。こういうシーンが大好きです。



一両編成の気動車です。



列車が発車しますが、見送る駅長さんはいらっしゃいませんでした。



せっかくなので、走行シーンも「撮り鉄」しました。30分待てばどちらかに向かう列車がやって来ます。



駅のまわりは、長閑な風景が広がります。列車は、いい音を響かせて走って行きました。



かつてのボランティア駅長さんの凛々しい姿は、2016.6.30「北条鉄道 法華口駅の駅長さん」でご覧になれます。

※撮影日 2019.1.14

法華山一乗寺を再訪しました

2019-01-17 19:36:36 | 寺社めぐり
西国三十三所巡礼の旅に出たのは、もう10年以上も前のことになります。巡礼の旅といっても、歩いて巡ったわけでもなく、車で1日に2~3ヶ所を巡るというものでした。御朱印帳や掛け軸の印が貯まっていくのが楽しくて、1年で三十三所を巡ってしまいました。

今回訪れた法華山一乗寺は西国第二十六番札所で、西国の中でも一番西にあるお寺です。



西国三十三所のお寺は何故か山の上にあり、長い階段を上っていくところが多いです。(四国八十八ヶ所はそれ以上に厳しかったです。)



常行堂は、がっしりとした建物でした。



三重塔は国宝です。お寺のパンフレットでは、真っ赤な紅葉と写っていました。三十三所も花の名所が多いのですが、花の季節は無視してお参りしていました。今から思えば、惜しいことをしました。



本堂を見上げます、まだ、階段が残っています。



本堂でお参りをしました。巡礼の旅では、般若心経をあげたり、お札を納めたり、御朱印をもらったりとお作法があります。



本堂の周りもゆっくりとまわりました。巡礼の旅では、先を急いでいたので、御朱印をもらったら急いで下山していました。



弁天堂と妙見堂ですが、ここも見なかったように思います(笑)



今回は写真を撮りながら時間をかけてまわりました。前回は写真も撮りませんでした。



鐘楼も味のある建物でした。



リタイアしたら三十三所や八十八所をもう一度、今度は歩いて巡礼したいと思っていたのですが、なかなか実行するのは難しいです。



再び石段を下って、一乗寺をあとにしました。



※訪問日 2019.1.14

堅田の浮御堂で芭蕉さんをしのびました

2019-01-16 19:00:15 | 我がこころの風景
先日、琵琶湖畔の寒咲花菜を撮りに行った帰りに堅田の浮御堂に寄ってきました。堅田は、寒咲花菜を撮った守山とは琵琶湖大橋で結ばれています。

近江八景の一つ堅田の落雁として有名な浮御堂は、海門山満月寺と称する禅寺です。



浮御堂といえば芭蕉さんのことを忘れてはいけません。芭蕉さんは近江の地を愛した人で、晩年の10年間で8度も湖南の地に滞在したそうです。



「行く春を近江の人と惜しみける」とこんな句まで詠んでいます。司馬遼太郎は「行く春は近江の人と惜しまねば、句の向こうの景観のひろやかさや晩春の駘蕩(たいとう)たる気分があらわれ出て来ない。(中略)この句を味わうには「近江」を他の国名に変えてみればわかる。句として成りたたなくなるのである。」(『街道をゆく24近江散歩』より)と書いています。



元禄4年の仲秋名月の翌日、十六夜に近江の人たちと堅田まで船を漕ぎ出して、湖畔にむしろを敷いて月見の宴をひらいたそうです。



月は対岸の鏡山の方からのぼってきたのでしょう。そして、詠まれたのが「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」です。



その句碑が境内に立っていました。



こうして、芭蕉さんのことをしのんでいると、私も名月の夜にここに来て、そんな光景を見たくなって来ました。もっとも句は作れないので、カメラに収めるのが精一杯ですが。



※訪問日 2019.1.8


大阪城の石垣を眺めながら

2019-01-15 19:25:25 | 大阪のまちをぶらり
私が大阪城を訪ねるのは、ほとんどが梅園に行くことが目的なので、JR大阪城公園駅から大阪城ホールの横を通って青屋門から入るというコースを歩きます。
広い大坂城の北東側のほんの少しの区間ですが、それでも十分に大坂城の素晴らしさを感じることができます。

駅から歩いて15分ほどで梅園に到着です。でも、まだ梅の花は咲いておらず、蠟梅が咲いているだけでした。



ところで、大阪城の天守閣ですが、これは三代目の天守閣です。初代は豊臣秀吉が築いた天守ですが、ご存知の通り「大坂夏の陣」で焼け落ちてしまいます。その後、徳川幕府が立派な天守を築いたのですが、落雷で消失します。そして、昭和になって大阪市民の寄付で建てられたのが現在の天守です。266年ぶりの再建だったそうです。



大坂城といえば立派な石垣で知られていますが、こちら側にはそんなに大きな石垣はあまりありません。



大坂城は豊臣秀吉が築いた城にはちがいないのですが、今、私たちが目にしている大阪城は徳川幕府が根本から造り変えたお城なんです。



秀吉が建てた大坂城は完全に土の中に埋められてしまいました。堀も石垣も何もかもです。この徹底ぶりには徳川家の執念を感じます。



内濠を遊覧船が走っています。天下普請で築城に関わった大名たちが石垣に刻んだ刻印が見られるそうです。



大坂城の歴史はともあれ、素晴らしい石垣です。重機がなかった時代によく築いたものだと感心してしまいます。



梅園には気の早い梅がちらほらと咲いていました。



※訪問日 2018.1.11

大阪城公園のジョウビタキ

2019-01-14 19:55:55 | 野鳥
大阪城には蝋梅を撮りに行ったのですが、野鳥にも会うことができました。

先日、万博公園でジョウビタキの雌に出会いましたが、ここでもジョウビタキの雌に出会いました。



ジョウビタキの雌は、本当に人懐っこいです。



色々とポーズをとってくれました。



大阪城公園も野鳥が多いそうです。



この梅園にも梅の花が咲く頃には、たくさんの野鳥がやって来るのでしょう。



結局、撮れたのはこのジョビちゃんだけでしたが、



そのかわり、こんな大きな鳥も撮れました(笑)



※撮影日 2019.1.11