交響曲の父、ハイドンが亡くなって200年。その記念コンサートでモーツアルトのレクイエムから亡き夫が大好きだった「涙の日」を歌った。
死期をうすうす予感していた夫は「俺の告別式はモツレクで頼むよ」と淡々と弟に話した。「まだ先の話じゃないか」と弟は言ったが、その日は数日後にやってきた。しかし、葬儀を執り行った、キリスト教会にその当時はCDプレイヤーがないことがわかり、残念ながらテープに残されていたブラームスのレクイエムで見送ることになってしまった。
彼が好きだった作曲家は、モーツアルトとブラームス。ブラームスの室内楽は、暗い雰囲気があり、私はモーツアルトの明るさに惹かれていたが、彼はLPレコードがすり切れるくらい、若い頃からブラームスの室内楽を愛していた。でも彼の最後の願いを叶えられなかったことが、私の胸の奥にいつもひっかかっていた。
「涙の日は、素晴らしい曲だぞ」と彼はいつも言っていたが、長いモツレクを聞かされるのを私は避けていた。独りになってから彼のCDを片っ端から聴いた。彼の言葉通り、素晴らしい曲だった。
かれらをあわれみたまえ主よ、
やさしきイエズスよ
かれらに休みをあたえたまえ
切々と歌うコーラスを聴いていると涙があふれてくる。「私もいつか、この曲を歌いたい!」と、コーラスの先生にお願いしたが、10年以上待ってもその機会はこなかった。
ところが先日、鹿児島ハイドン協会オーケストラが、没後200年記念コンサートを、鹿屋市で開催することになり、地元合唱団と一緒に「ラクリモーサ」を歌うことになった。短い曲だけれど、初めて歌う原語のミサ曲は難しかったが、「アーメン」と歌い終わった時は涙が溢れそうだった。
口の悪い亡夫に「これじゃモーツアルトが怒るぞ…」と言われそうな気もしたけれど、胸の中の固まりは、すーっと溶けていった。ミサ曲っていいなあ。もう少し歌いたくなった。
死期をうすうす予感していた夫は「俺の告別式はモツレクで頼むよ」と淡々と弟に話した。「まだ先の話じゃないか」と弟は言ったが、その日は数日後にやってきた。しかし、葬儀を執り行った、キリスト教会にその当時はCDプレイヤーがないことがわかり、残念ながらテープに残されていたブラームスのレクイエムで見送ることになってしまった。
彼が好きだった作曲家は、モーツアルトとブラームス。ブラームスの室内楽は、暗い雰囲気があり、私はモーツアルトの明るさに惹かれていたが、彼はLPレコードがすり切れるくらい、若い頃からブラームスの室内楽を愛していた。でも彼の最後の願いを叶えられなかったことが、私の胸の奥にいつもひっかかっていた。
「涙の日は、素晴らしい曲だぞ」と彼はいつも言っていたが、長いモツレクを聞かされるのを私は避けていた。独りになってから彼のCDを片っ端から聴いた。彼の言葉通り、素晴らしい曲だった。
かれらをあわれみたまえ主よ、
やさしきイエズスよ
かれらに休みをあたえたまえ
切々と歌うコーラスを聴いていると涙があふれてくる。「私もいつか、この曲を歌いたい!」と、コーラスの先生にお願いしたが、10年以上待ってもその機会はこなかった。
ところが先日、鹿児島ハイドン協会オーケストラが、没後200年記念コンサートを、鹿屋市で開催することになり、地元合唱団と一緒に「ラクリモーサ」を歌うことになった。短い曲だけれど、初めて歌う原語のミサ曲は難しかったが、「アーメン」と歌い終わった時は涙が溢れそうだった。
口の悪い亡夫に「これじゃモーツアルトが怒るぞ…」と言われそうな気もしたけれど、胸の中の固まりは、すーっと溶けていった。ミサ曲っていいなあ。もう少し歌いたくなった。