はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

日食の観測方法

2009-06-15 23:10:43 | はがき随筆
 50年近く前、北九州の小学校に通っていた。日食が見られる日が近づいた理科の授業では、ガラスにロウソクのすすを付ける実験も行われた。顔や手を真っ黒にしている同級生もいた。
 実際に日食を見たのは下校時の商店街。子供たちは、ランドセルから色つきの下敷きや感光した黒いフィルムを取り出して空にかざした。欠けていく太陽に感動したことを覚えている。
 それで7月99一日の日食も楽しみにしていた。ところが家に届いた県広報紙にすすガラス、下敷き、フィルムでの観測は危険と書かれていた。急いで「日食
めがね」を買い求めなければ。
  
鹿児島市 高橋 誠(58) 2009/6/14 毎日新聞鹿児島版掲載



自然と対話

2009-06-15 23:07:03 | はがき随筆
 そこはまるでおとぎの国。見渡す限りバラの花園。色とりどりのバラの競演。たくさんの種類だった。かのやばら園は私の夢だった。先日、心を病んで疲れていた私を、バラたちは笑顔で迎えてくれた。バラの香りが私の体を優しく包む。思わずバラに□づけ。幸せいっぱいになる。5月15日、栃木県に住む長男の義父の訃報が届いた。頭が真っ白になって事故。ダブルショックで葬儀に参列。故人は私と同じ年。涙、涙。こんな時は自然と対話するのが一番。ふる里鹿児島に飛んだ。広い公園をゆっくり歩く。バラに声をかけると元の自分に戻っていた。
  山□県光市 中田テル子(63) 2009/6/13 毎日新聞鹿児島版掲載



共存

2009-06-15 22:59:58 | はがき随筆
 プランターの小松菜(あちこちに落ちて発芽したものをまとめた)が上等に葉を成長させた。
 モンシロチョウがすかさず飛来して産卵のよし。
  いつのまにか期待の葉が虫食い状態、やがて葉脈を残して網の目になってしまった。見るとすっかり満悦な青虫の存在。一つ一つ取って日向におくと「環境が違うぞ」といわんばかりに静止していたがいつしかいなくなった。どこへ行ったか知らないがサナギになってチョウになり再びここへ来るだろう。
 私は青虫の残した小松菜を摘みとって夕げの菜に。これこそ小さいけどゆずり合いの共存。
  鹿児島市 東郷久子(74) 2009/6/12 毎日新聞鹿児島版掲載





10年もたつと

2009-06-15 22:53:27 | はがき随筆
 初任時を振り返る。高校卒、専門学校卒の方も居て、子供との年齢差も5~6歳ぐらいであった。今、大学卒、修士課程修了で一巡り以上である。
 きのうまでは高校生、きょうからは先生。隣の兄ちゃん姉ちゃんが受け持ちの先生。親近感もあり、かけっこしたり、鬼ごっこしたりの、のんびりとした学校生活であった。また、主事の先生も昨日までは中学生、今日からは「小使いさん、先生、○○姉ちゃん……」と呼ばれて頼り切っていた。
 あと10年もたつとどんなふうにセットされ、先生方は、子供たちは……想像することも。
  出水市 岩田昭治(69) 2009/6/11 毎日新聞鹿児島版掲載


愛情弁当

2009-06-15 22:50:26 | はがき随筆
 私はプール監視員の仲間6人と一緒に働いている。毎週休館日の清掃後に食べる弁当は格別な味で会話も一段と弾む。
 その仲間の一人、東京出身のAさん。昼の弁当のひとときに決まって彼の持参したおかずが話題になる。うらやましいくらいの種類が彩りよく並び、弁当箱からこぼれそうなほどボリューム満点です。Aさんはニコニコ顔でおいしそうにほおばる。
 小さな弁当箱の中に奥さんの優しい世界が広がり、夫への愛情が伝わってきます。
 ある日、Aさんは弁当片手にポツリ。「妻の古里鹿児島に永住する」とうれしそうに話す。
  鹿児島市 鵜家育男(63) 2009/6/10 毎日新聞鹿児島版掲載



母の味

2009-06-15 22:40:43 | はがき随筆
 形見のサンショウの新芽が伸びる4月だった。「つくだ煮を作るから、葉を摘んどって」と出かける間際の妻が言う。
 私は、母が残した庭のサンショウの若葉を摘み、ツーンと香る葉を袋に入れ彼女を待った。
 妻は帰宅後、サンショウの葉をフライパンでいりながら「長く入院したお母さんの残したサンショウのつくだ煮は半年たっても腐らなかったの。だから私も作り始めたのよ」と母のつくだ煮を思い出すように話した。
 翌朝の、ミリンしょうゆを加え工夫した妻のつくだ煮は、どこか母の味を思い出させる、甘辛く、懐かしい味だった。
  出水市 小村 忍(68) 2009/6/9 毎日新聞鹿児島版掲載







五歳の知恵

2009-06-15 22:37:57 | はがき随筆
 太平洋戦争末期の昭和19年、私の弟はI歳で、母の背におんぶされていた。出会った人が「男の子ですね。この子はレイテの花ですよ。立派に育てて下さい」と言われた。
 ある日、母が5歳の私に、おもりをたのんで外出した。
 心やすく預かったのですが、やがて空腹のため泣き出した。困り果てた私は、とっさに自分の右親指を弟の□に含めた。すると吸いつくように飲み始め、乳も出ないのにやがて泣き声はおさまりました。
 64歳になった弟に話すと嫁や娘、他の人まで大爆笑です。弟よ、元気で長生きして下さい。
  肝付町 鳥取部京子(69) 2009/5/8 毎日新聞鹿児島版掲載



百歳が百点満点

2009-06-15 22:34:10 | はがき随筆
 目だ耳だ鼻だ、揚げ句は足の指先まで。齢を重ねるごとに雨後の竹の子のごとく不調が続出し、このままでは長生きはおぼつかないと悟った。これといった生きがいの見いだせない今「百歳まで元気に生きよう」。これが我が人生の新しき大目標!
 理由は簡単。学業に打ち込んだ学生時代に思いをはせ、日本人男性の平均寿命79をテストの平均点と見なした。この数値自体かなり高いハードルだが青春時代の情熱を思い起こし「やるっきゃない」。最終挑戦なので半ばで息絶えようと、どうってことはない。頼もしき妻の応援を得て、還暦の我いざ行かん!
  霧島市 久野茂樹(59) 2009/6/7 毎日新聞鹿児島版掲載