十数年前、上高地を旅した。河童橋から見た残雪輝く穂高連峰は美しい風景画として強く脳裏に残った。観光客の中に重いザックを背負った登山者もいたが、山登りに何の興味もなかった私には、ただの行きずりの人でしかなかった。
ところが定年後、人生は想定外の方向へ動き、今年私はその行きずりの人となって、日本で3番目に高い奥穂高岳を目指していた。
テレビや写真で何度も見た涸沢カールを目の前にして足がすくむ。吊尾根の上は果てしなく青い天空。深呼吸をし、雪渓を踏みしめ、これから登る岩の峰を仰いだ。
6年前の私は近くの里山に息切れし、1年たっても久住山にも登れなかった。何がそうさせたのか、夫の足手まといになりながら、私の山歩きは続いた。毎日のウォーキングも欠かさず、3年目には体重8㌔減。持病の腰痛も消えた。九州の山々を中心に歩き、山数は400座を超えた。
中高年の登山事故が報じられると、「私はどうか」と振り返る。万全の準備、体力の範囲内、この鉄則を守り、ここまでやってきた。
「今年こそ、あの山へ登ろう」と心に決め、春からトレーニングをし、山岳保険にも入った。
そして夢はかなった。
久住山にさえ登れなかった私。その同じ私が、3090㍍の岩の峰に今、確かに立っている。
ゆっくり喜びがわいてきた。
福岡市 吉次美穂香(66)2010/8/26 毎日新聞女の気持ち欄掲載
ところが定年後、人生は想定外の方向へ動き、今年私はその行きずりの人となって、日本で3番目に高い奥穂高岳を目指していた。
テレビや写真で何度も見た涸沢カールを目の前にして足がすくむ。吊尾根の上は果てしなく青い天空。深呼吸をし、雪渓を踏みしめ、これから登る岩の峰を仰いだ。
6年前の私は近くの里山に息切れし、1年たっても久住山にも登れなかった。何がそうさせたのか、夫の足手まといになりながら、私の山歩きは続いた。毎日のウォーキングも欠かさず、3年目には体重8㌔減。持病の腰痛も消えた。九州の山々を中心に歩き、山数は400座を超えた。
中高年の登山事故が報じられると、「私はどうか」と振り返る。万全の準備、体力の範囲内、この鉄則を守り、ここまでやってきた。
「今年こそ、あの山へ登ろう」と心に決め、春からトレーニングをし、山岳保険にも入った。
そして夢はかなった。
久住山にさえ登れなかった私。その同じ私が、3090㍍の岩の峰に今、確かに立っている。
ゆっくり喜びがわいてきた。
福岡市 吉次美穂香(66)2010/8/26 毎日新聞女の気持ち欄掲載