2015年12月 9日 (水)
岩国市 会 員 林 治子
朝刊「こだま」欄に掲載された菅原静喜さんの「折り紙」を拝読した。以前、大阪に住んでいた頃、何の気なしに見ていたテレビの一こまを思い出した。
それは、折り紙の特集たった。普通の折り紙より数倍大きくて、材質はかなり軟らかい物を使っていた。素人目には、ただ、ぐしゃぐしゃと紙を丸めているように見えた。
本当は必要な折り目をあちこちとつけていて、しばらくすると、見事な象が出来上かっていた。私は、ぽかんと口を開けて見たような記憶がある。
私は、鶴しか折ることができない。その時、折り紙は結構大変な世界なんだと感じた。
数年たって生まれ故郷に帰った。幼なじみの一人のお宅にお邪魔した時、折り紙のバラやキキョウなどが飾られた玄関のげた箱の上は、まるでお花畑のようだった。 「いろいろなものが折れるのね」と手に取ってじっと眺めた。
「サークルに入って、皆さんと仲良く折り紙を楽しんでいる」。彼女はうれしそうに話された。ますます腕にも磨きがかかることだろう。いい趣味だとうらやましく思った。
もう一人の友は、鶴をたくさん折っておられて、ことしのある展覧会では賞をもらわれた。細かい鶴の動作など、根気のいる作品であった。
2人とも、私の大事な友人。折り紙は奥が深いと口をそろえる。私には作るのは無理だから、すばらしい作品を見て楽しんでいる。
(2015.12.09 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)岩国エッセイサロンより転載