はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

もやう

2015-12-10 11:57:52 | はがき随筆


2015年12月10日 (木) 

  岩国市  会 員   沖 義照

定期健診のため、かかりつけの病院へ朝早く出かけた。すでに待合室は患者でいっぱいである。受付を済ませ、カウンターの前にある3人掛けの椅子の真ん中がひとつ空いていたので座った。

 その直後、80歳くらいの小柄な婦人がつえ代わりの小さな車を押して受付を済ませ、私の目の前で座るところを探すように辺りを見まわしている。空席がないことは分かっていたので、席を譲るために立ち上がろうとしたが、見ると両隣に座っている人と私の間には結構な空間がある。少し右に寄れば左に小柄な婦人なら楽に座ることはできそうだ。

 「ここにどうぞ」と言いながら空けた場所を指すと「すみませんねえ」と会釈をしながら座った。左に座っていた女性も少しよけてくれた。 
 3人掛けの長椅子に4人が座る格好となった。婦人は椅子のつなぎ目に座っている。「大丈夫ですか?」と声をかけると、反対側の耳を私の口元に寄せてくる。「耳が遠いもんで……」と言うので、にっこり笑うだけで返事をすることなくそこは収めた。

 すると「最近はこんなに親切な人はいません」と周りに聞こえるような声でいう。周りの人に対してちょっと気まずい思いはしたが、まあよかろう。
 待合いの時間が長いとき席を譲るのは大変だが、少し狭くなっても、もやうことなら簡単だ。「もやう」、子供のころよく使ったやさしい言葉を久しぶりに思い出した。
   (2015.12.10 毎日新聞「男の気持ち」掲載)岩国エッセイサロンより転載