はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

転んで

2019-03-09 16:04:32 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月19日 (水)
転んで
   岩国市   会 員   林 治子

 「あっ」と声に出た。しまった、と思った時には遅かった。路上、ものの見事に滑って尻もちをついていた。立ち上がれない。右足首をくじいたらしい。如月の冷たい風の中、舗道は凍り付いていた。
 携帯電話を持ってこなかったので、連絡しようがない。駐車場と舗道の境に張ってあるロープを握り締めてどうにか立ち上がった。大丈夫かと何度も自問しつつ、滑らないようにそろりそろり歩いた。
 何とか家に着くと、ほっとした気持ちを壊したくなくて 「歩けたから骨は折れていない。ひびも入っていない」と自己暗示をかけた。
 しかし翌朝、足首が腫れ上がった。サンダルも履けない。ただ、不思議なことに痛みが少しもなかった。翌々日には腫れが引いていた。
 数力月がたって、別の要件で整形外科に行った時、エックス線を撮った。「折れている。直後だったら3カ月の入院だった」。入院しない代わりに装具を着けてもらい「ねじる歩き方はしないように」との注意を受けて帰った。折れているのに歩けるとの思いが、頭を駆け巡った。「歩くな」という注意はなかったので、装具を着けて以前と変わらず毎日歩いた。
 3カ月が過ぎ「見事に骨がくっついている」との診断を受けた。手術をしたわけでもないのだから、私の毎日の努力のたまものかなあ。

     (2018.12.19 中国新聞「こだま」掲載)

車の旅

2019-03-09 16:03:40 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月22日 (土)
車の旅
岩国市  会 員   片山 清勝



 弟は自宅から50㎞離れた会社に通っていた。その会社から「会社と独身寮の見学会」の案内が届いた。両親が「見に行きたい」と強く希望するので、私は車を借りて連れて行った。

 見学会に満足して帰る途中、父は初のドライブに上機嫌だった。「退職したら車を買う」と言った。母は大きくうなずいた。翌春の退職が決まっており、家族皆、納車の日を楽しみにした。しかし3か月後、父は急逝。車は幻となった。

 それから3年が過ぎた。ローンを組んだ中古車が、我が家初の車としてやって来た。入園前の息子ははしゃぎ、母も喜んだ。

 初めてのドライブは母、妻、息子を乗せ1泊2日で山陰へ旅した。地図が唯一の頼りの時代。ルートを丸暗記して、ポイントはメモしていた。

 その時、母は父の写真を懐にしのばせていた。「車を買う」と言った父に家族でドライブする楽しさを味わわせたかったのだ。母と写真との旅は、母が亡くなるまで20年余り続いた。

 そこに父と母の強い絆を感じていた。母と旅した父の写真は、ひつぎの母の胸に納めた。

 三十数年が過ぎた。免許証を持たない両親だったが、なぜか車の旅に出る二人を想像してしまう。

 私はマイカー歴50年になった。最近は遠出せず、買い物や通院など身近な運転が多い。そうした中、70代最後の免許更新を終えた。免許取得以来、安全運転を続けるからこそ、いい思い出が残っていると思った。

(2018.12.22 中国新聞「ひといき」掲載)

投稿者 花水木 時

ゆったりと

2019-03-09 16:02:52 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月23日 (日)
ゆったりと
  岩国市  会 員   横山 恵子



紅葉見物に広島から友3人。まず腹ごしらえ。マツタケとはいかないが、秋の味覚、クリとサツマ芋のコロッケやユズ料理などでもてなす。「1人暮らしだから手作りはうれしいわ」とTさん。

 紅葉谷は早晩、秋の趣。それでも真っ赤なモミジ。イチョウのじゅうたん。自然からのプレゼントに心和む。古民家でコーヒーを味わいながら、冬支度の庭を眺める。ゆっくりと流れるひととき。

 周りが見えず突き進んだ日々もあった。残りの人生、四季の移ろいを感じつつ、ゆったりと過ごせたらと思う。

(2018.12.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

祖母の声

2019-03-09 16:02:00 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月24日 (月)
祖母の声
    岩国市   会 員  片山清勝

 夕食後、虫の知らせにせかされ病院へ急いだ。到着後、退院予定だった父の病状が急変し、私が見守る中で命を閉じた。病室から出てしばらく待つように看護師に促される。
 父は50代半ばだった。病身で伏せている母、私、高校生の妹を含む3人の弟妹を残しての急逝。長男とはいえ私は20代半ば。突然、家族を守る重い責任を背負う。どうするか、暗い廊下の長椅子で考え込む。
  「大きくひと息して」。ピシリとしているが、優しく言い聞かせる声がした。驚き見回したが廊下に人影はない。誰、と思った時、祖母の声と気付いた。
 私が人の最期に初めて接したのは祖母の時で小学6年。祖母は生前、何かといえば「長男は」と話していたが、深い意味など感じることはなかった。
 こうした機に備える心構えを教えたかったのでは。そう思い、大きく深呼吸。スーと何かが体から抜け、続いて何かがみなぎった。看護師に呼ばれ、父のそばへ。最期の時と違う自分に気付く。伏せている母へ、父の姿を伝える心構えができた。
 あの時から50年以上過ぎた。それでも父の命日が来ると、信じ難いと言われるかもしれないが、祖母の声を聞いた不思議なことを思い出す。

     (2018.12.24 中国新聞「明窓」掲載)

大根煮しめ

2019-03-09 16:01:04 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月25日 (火)
大根煮しめ
    岩国市   会 員   片山清勝

 太く長い大根をもらった。2人なので何度かに分け料理する。そんな妻の仕分けを見ながら思い出す。
 子供の頃は3世代同居の多人数家族、母の作るおかずの量は半端じゃなかった。野菜は自家製、大根の時期には大盛りで食卓に載る。子供は「大根ニンジン大嫌い」と言いながら、それは遊び言葉、戦後の食糧難時代でしっかり食べた。
 旬を食べるのは、ぜいたくという。当時は腹いっぱい食べることだけで、ぜいたくという気はなかった。
 ただ、厚く切った大根と油揚げを、濃い口しょうゆで炊いた煮しめの味は覚えている。

      (2018.12.25 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 

夢を見続けて

2019-03-09 16:00:13 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月26日 (水)
夢を見続けて
山陽小野田市  会 員   河村 仁美



 十年ひと昔とはよく言ったものだ。年女の記念に、はがき随筆に初投稿初掲載され、はや10年。投稿歴10年というと「すごいね」と言われるが、はがき随筆では、ひょっこレベル。
 はがき随筆は、投稿して新聞に載る楽しみ、月間賞の楽しみ、さらに年間賞の楽しみへワクワクした日々が続く。10年続けたが、まだ佳作止まり。更なるステップへと夢は膨らむ。
 夢を見ることはたやすい。しかし夢を見続けることは難しいといわれる。元号が平成から新元号へ変わる。平成最後の大傑作を目指し、素材探しへの日々が続いている。

(2018.12.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

天国の席

2019-03-09 15:58:37 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月27日 (木)
天国の席
岩国市  会 員   林 治子



 お母さん、お元気? ばったり出会った娘さんに聞く。「ホームに入っている」と返事。じゃ~天国の席は、まだ彼女が座っとるのよね。「えっ何のこと」

 お母さん、よく言ってらしたわよ。掛かりつけの先生に「早くあの世に行きたい」って。先生はその都度、ご主人の傍らには彼女が座ってるよ、少し待たなきゃ今は無理と言われたそうな。イケメンの主人、この世でもあの世でも、もてすぎて困ったものよ。お陰でずっと悩まされ通し。そう言って笑わせておられたけれど。「え! そんなアホな話、知らんのは家人だけだったのね」と大笑いした。

(2018.12.27 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

(この1年)さらば「酒気帯びの人生」55年

2019-03-09 15:57:29 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月30日 (日)
(この1年)さらば「酒気帯びの人生」55年

 岩国市 会 員   山本 一

 7月18日に酒を飲むのをやめた。不整脈のため苦渋の決断をしたのだ。それまでの55年間ほとんど毎日酒を飲み、酒に助けられる「酒気帯びの人生」だった。

 仕事や遊び、悲しみや喜びの仲立ちを酒にしてもらった。在職中は終業後に縄のれんに繰り出し、大いに仕事の激論を戦わせた。退職後も毎日缶ビール1本、ワイン1グラス、焼酎お湯割り2杯をゆっくりと飲んだ。酒を止めて約5カ月。懸念した禁断症状も出ておらず頭がすっきりしているのは気のせいだろうか。

今まだ宴席での会話もぎこちない。晩酌無しの夕食も手探りだが、また違った物の見方や考え方が出来そうでわくわくしている。否、そうありたいと思う。

(2018.12.30 朝日新聞「声」掲載)

船の接触防ぐ工夫を

2019-03-09 15:56:24 | 岩国エッセイサロンより
2018年11月 1日 (木)
船の接触防ぐ工夫を
   岩国市   会 員   山本 一

 10月22日朝8時40分、マイカーで周防大島へ釣りに出掛けた。大島大橋が一方通行で、何だか様子が違う。そこから30分ほどの釣り場に到着した直後、役場からの屋外緊急放送が「島内全域が断水」。大橋の送水管が問題らしいが詳しいことは分からない。
 私の釣りは昼間専門で遅くとも午後4時には終える。これが幸いし、何とか帰宅できた。午後10時から通行止めにするというニュースを見ながら、夜釣りや宿泊の釣り仲間の困った顔を思い浮かべた。
 事故の原因は「船のマストが橋に接触」というあってはならないことだ。大橋は大島の交通、水、通信の生命線である。それにしては危険回避の対策がお粗末だったのではなかろうか。
 最近購入した私の車はごく普通の車だが、衝突回避のセンサーが付いている。船舶側の注意に頼るだけでなく、橋側にも同じような考え方が必要なのではなかろうか。
 ニュースが伝える島民の方々のご苦労に胸が痛む。早期復旧を心から祈るばかりである。 

      (2018.11.01 中国新聞「広場」掲載) 

心からありがとう

2019-03-09 15:55:34 | 岩国エッセイサロンより
2018年11月26日 (月)
心からありがとう
岩国市  会 員   稲本 康代

 この2カ月の間に3人の大事な友を見送った。みんな私よりも年下である。葬儀が終わって数日は無力感を持て余した。今でも仲良しの彼女から電話がかかりそうで、番号を削除できずにいる。この感情を同居の娘に話すと「よかったね、お母さん。私たちと一緒にいて」という。一瞬、言葉の内容が理解できず、間をおいて「ありがとう」と答えた。
 内心は掃除、洗濯、炊事はほとんど私がしているんじゃ!と思いつつ、いやいや一緒に暮らす家族がいることが幸せなことだと気づいた。今度は心から「ありがとうね」。
  (2018.11.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載)



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癒やされる

2019-03-09 15:54:21 | 岩国エッセイサロンより
癒やされる
   岩国市   会 員   林 治子

 愛犬が死んで4年と数力月。私にはそんなに月日がたっているようには感じられない。名前を呼んだら、飛んでくるような気がまだしている。
 朝のウオーキングの時に会う人が「あんた犬、どうした」と聞いてくる。「犬を忘れてきたのか」とひどい言い方をする人もいる。だが、物言いはどうであれ、覚えてくれていればこそ。ありがたい。
 人は見ないようで見ているものだなあと感心する。だが、私を覚えているのか犬の方か、それとも両方なのかは分からない。
 ただ、犬を連れた方では犬の方が私を覚えていることが多いようだ。飼い主をぐんぐん引っ張って、寄ってくる。そこまででなくても、飼い主の顔色をうかがいながら、ちらちら私の顔を見て行く犬も目にする。
 歩くコースの途中のお宅では、犬にすっかり覚えてもらっている。通り過ぎようとすると 「ワン」と小声でほえる。朝早いので、犬なりの近所への配慮かと思う。垣根に近づくと、ここをさすれとばかりに体を寄せてくる。よその犬もかわいい。
 また、コンビニへ行く道にも私を待っていてくれる犬がいる。少々遠回りになるが、やはり顔を見に行く。見れば寄ってきて、じいっと顔を見つめてくる。尾っぽを振る。帰り道、うっかり通り過ぎようとすると、 「ちょっと。私を忘れていないかい」とばかりに「ワンワン」とほえる。
 こうしたことが、今の私の癒やしになっている。

      (2018.11.27 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

心動かして

2019-03-09 15:53:38 | 岩国エッセイサロンより
2018年11月27日 (火)
心動かして


岩国市  会 員   吉岡 賢一



「読書は心を動かす、心が動けば身体が動く」という言葉に触発されて、柄にもなく数冊の本を手に、人並みに読書の秋を満喫した。そのお陰か、わずかながら気持ちも身体も前向きで、充実の季節を過ごした気分である。
 思い起こせば、100歳を生きてこの秋10回目の祥月命日を迎えた母も、104歳を生きた母の妹も、晩年まで本を手離さなかった。
 心穏やかに元気で長生きの秘訣は読書のお陰だったのかも、と今にして思う。100歳長寿のまねはともかく、本を身近に置きながら、心も身体も動かす穏やかな生き方は見習いたいものである。

(2018.11.27 毎日新聞「はがき随筆」掲載)


車いす磨き

2019-03-09 15:49:44 | 岩国エッセイサロンより
2018年10月20日 (土)
車いす磨き
   岩国市  会 員   吉岡 賢一

 地域の社会福祉活動の一つとして、特別養護老人ホームなどを併設する大型介護施設の「車いす磨き」に、年10回取り組んでいる。1回につき約15人が2時間かけて、45台ほどを磨き上げている。中には想像を超える磨き甲斐のある車いすもある。作業の担い手の多くは、施設利用者と同年齢か少し若い男女だ。自主的に参加、協力しあって進める。

作業をしながら「やがて私たちもここでお世話になるかもねー」とか「こういうことはできるときにやっておかないとねー」と、元気に活動できる今を喜ぶ会話が弾む。「やがて行く道」を改めて実感する。

そして思うのは、間もなく10年目の祥月命日を迎える母が存命の頃、今と同じように「老いを敬う気持ちで母に接して来たか」という疑念と悔恨である。

10年前の自分は「まだまだ若い」の一点張りで「老い」と向き合う真摯な気持ちが極めて薄かった。もちろん今だって「まだまだ、やりたいことがあるな~」という欲深い気持ちに変わりはないが、一方で自分の年齢を意識し、老いを人ごとと思えない自覚に目覚めたのも確かだ。今こうして地域活動に取り組んでいるのも、その昔母にしてやれなかった不孝を、遅ればせながら取り戻そうとしているのかもしれない。

「孝行をしたい時分に親は無し」。


   (2018.10.20 毎日新聞「男の気持ち」掲載)

城下町の医院

2019-03-09 15:42:59 | 岩国エッセイサロンより
2018年10月27日 (土)
城下町の医院
   岩国市   会 員   片山清勝

 城下町の風情が残る通りの医院には、大きな病院では味わえない「待合室」がある。
 玄関は自動ドアだが、迎えてくれるげた箱は棚が数段ある木製。懐かしい昭和を感じさせる。履物をしゃがんで持ち上げ棚に置く所作は並んではできない。 「どっこいしょ、お先に」と、待っている私に高齢の女性が声を掛けた。
 受付は木枠の小さな窓である。壁に沿った長椅子に腰掛けて順番を待つ。床は板張りで、その色つやは先代から続く歴史を感じる。
 壁には、手書きのお知らせや患者寄贈の手芸品が飾られて、落ち着きと安らぎが漂う。隣り合わせた人と会話も弾む。まさに辞書通りの「患者が順番を待つ部屋」待合室である。
 先生は海外旅行が趣味のようで、盆や年末年始の休診はほかの医院より少し長めに感じるが、息抜きは患者のためになる。
 休み明けに展示される写真を楽しみにしている。今は数枚、南イタリア・シチリアの紺碧の空と海、そこに暮らす人々を見ることができる。いつも自然のままに撮られていて、親しみやすい。一枚一枚見ながら、医院の構えと先生の趣味の差異にユーモアを感じている。
 支払いを済ませた高齢の女性が「タクシーを呼んでください」と受付に頼み10円硬貨を渡した。ここ待合室ならではの光景だ。
 順番が来た。手書きのカルテを確認しながらの治療は、パソコンにはない信頼とぬくもりがある。

      (2018.10.27 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

輝け!期待の星

2019-03-09 15:41:32 | 岩国エッセイサロンより
2018年10月31日 (水)
輝け!期待の星
     岩国市  会 員   森重 和枝 



 妹の中学3年の孫が英語暗唱弁論大会で優勝し県大会に出た。文化祭で発表するというので同伴した。まず大勢の保護者で混雑する会場に驚いた。
 混声合唱、演劇、吹奏楽は金賞を取っているハイレベルな発表に感心するばかりだった。いよいよ個人発表が始まった。「タイタニックのエヴァンス」。流暢な英語が続く。手をあげて叫ぶところは映画のシーンが浮かぶ。所々単語が分かる程度なのが残念。堂々と10分間の英文を暗唱している姿をビデオで撮りながら感動しウルウルする。
 この才能が、これからもっと輝いていくことを願う。
   (2018.10.31 毎日新聞「はがき随筆」掲載)