はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

初めての手術

2019-03-09 18:58:19 | はがき随筆
 採血、心電図、麻酔と続き、手術台へ上がり目覚めたのは真夜中の2時だった。夫が元気で自活できる内に、そして私自身も体力がある内に受けた方が良いという忠告もあり、思い切って臨んだ今回の手術だ。
 これから迎える老々介護を乗り越えるため、また、ひとり遺された場合の自立のための良い機会ととらえ、緊張の中にも確信に似た気持ちがあった。
 案ずるより産むが易し。術後の経過も順調で退院も近い。夫も不慣れな家事と格闘しながら何とか暮らしている。寒さも和らぎ春がそこまでやって来て、新しい一歩が踏み出せそうだ。
 宮崎市 高橋厚子(69) 2019/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載

はがき随筆2月度

2019-03-09 16:29:59 | 受賞作品
 月間賞に道田さん(鹿児島)
佳作は柏木さん(宮崎)、口町さん(鹿児島)、竹本さん(熊本)

 はがき随筆の2月度月間賞は次の皆さんでした。(敬称略)

【優秀作】28日 「真心」道田道範=鹿児島県出水市
【佳作】8日「霧の記憶」柏木正樹=宮崎市 
    7日「80代は」口町円子=鹿児島県霧島市
    10日「教え子の行為」竹本伸二=熊本市東区

 「真心」は、母親の介護に、心身ともに疲労困憊している毎日。反応の全くない母親の様子に、感謝の言葉など期待していなかったが、感謝の念を姉には伝えていたことが分かり、真心が通じたと勇気づけられたという内容です。人の意識の動きの不思議さについて考えさせられました。私たちの生命現象は一般に意識の活動としてとらえますが、筆者の毎日の会後は、人の命の不思議さに対面させられていると考えると、他人事のような言い方になりますが、介護も別の意味合いをもってきて、励まされるかもしれません。
 「霧の記憶」は美しい文章です。蜘蛛の巣に輝く朝霧の水滴に、少年時代の父母の記憶を重ね合わせた内容です。牛馬のごとく、という慣用句がありますが、早朝から草刈りに出ていて、待っていると朝霧の中から帰ってきての食事。安堵感がある記憶です。父母の年齢に近づくと、父母の労苦が分かるといいますが、このような懐かしく美しい連想は読む人の気持ちを和めてくれます。
 「80代は」は、ワサビり効いた文章です。誰でもが大みそから「紅白」を見る義理はありませんから、自信をもってください。歌が好きなので「紅白」が楽しみだったが、最近は理解不可能な番組に。歩み寄る気持ちで見てみたが、やはり駄目。犬猫のテレビは和ませてくれるのだが。これからは自分流を貫こう。80代の再出発と言おうか、自己の確率です。頑張って下さい。
 「教え子の行為」は、高校教師時代の教え子が、70歳の頃訪ねてきて、危ない個所に手すりを付けてくれた。「今はいらんでしょうが」という心配りと共に。それから20年、これほど助かることはなく、毎日感謝している。教え子の行為が好意であったようです。ここではいわゆる子弟の間柄ですが、人と人との善意の触れ合いは、それが他人事でもうれしくなります。
 この他に、夫婦で別室でテレビを見ている生活が内容の、楠田美穂さんの「TV別居」と、赤ん坊が心を慰めてくれるという、内平友美さんの「心のサプリ」が記憶に残りました。
  鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

北国之春

2019-03-09 16:21:20 | はがき随筆
 中国語を習い始めた友人が中国語の「北国之春」の歌詞楽譜を持って歌い方を聞いてきた。
 もう十五、六年前にもなるがシルクロードを旅したとき、長距離列車で現地の夫人同伴の中年の5,6人のグループと乗り合わせた。市の役人であるという。こちらは日本人2人、彼らは気さくな人たちで、夫人も交えて筆談や通訳を通して話が弾んだ。彼らは間もなく下車するという。お別れに「北国之春」を歌うことになった。全員立ち上がり、彼らは中国語で、こちらは日本語で合唱した。車内みんな歌いだした。名残を惜しみながら別れたのだった。
 鹿児島市 野崎正昭(87) 2019/3/7 毎日新聞鹿児島版掲載

「小豆作り」

2019-03-09 16:16:20 | 岩国エッセイサロンより
2019年2月 1日 (金)
「小豆作り」
    岩国市    会 員         吉岡 賢一

 娘の嫁ぎ先から毎年末、大量の小豆と黒大豆が届けられる。楽しみであり、感謝に堪えない。大粒で赤く輝く小豆は、餅に入れるあんこやぜんざいに変身する。
 粒ぞろいの立派な黒大豆は、おせち料理に欠かせない煮豆となる。
 手にとって、ありがたいことだとしみじみ考えるうち、自分の手で一度、小豆を作ってみたくなった。昨年のことである。それで初夏が来て、借りた狭い畑に一握りの種をまいた。間もなく畑一面に見事な芽が吹き出た。「わりと簡単にできるんじゃなかろうか」と喜んだのが、大間違いだった。
 昨夏は記録的な暑さが続いた。水やりだけでへとへとになった。それでもわれながらよく頑張った。
 だが、秋口に差し掛かる頃、目に見えて勢いが弱ってきた。「けっこう実を付けているので大丈夫」と自分に言い聞かせた。安心したかった。
 やがて虫が付くようになった。無農薬が取りえの家庭菜園である。消毒は控えた。結局、種まきに使った量の3倍程度、1合にも満たないささやかな収穫となった。「赤いダイヤ」と呼ばれる小豆は、素人の手で簡単に作れるほど甘くなかった。
 収穫した全部を使ってぜんざいを炊いた。おわんにして3、4杯分しかなくても、食感は紛れもなく大粒の小豆である。
 さて今年はどうするか。種にするより、おなかに入れる方が賢明か。

          (2019、2、1、 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

どちらが長生き?

2019-03-09 16:15:32 | 岩国エッセイサロンより
2019年2月 4日 (月)
どちらが長生き?
岩国市  会 員   上田 孝


冬本番となり、海沿いの散歩コースにも渡り鳥が増えた。いずれも住む人の少ない北方から渡ってきたはずだが、警戒心は種類によって差がある。ヒドリガモは、こちらとの距離がかなりあっても一斉に岸から遠ざかるが、カルガモはほとんど逃げない。マガモはその中間ぐらいである。

 どちらが生き残りに有利か。用心深いと襲われる確率は減るが、いつも周りを伺って緊張している。人が通るたびに遠ざかっては戻るという無駄なエネルギーも消耗している。あれ?これ、どこかの夫婦のようだ。さてどちらが長生きするか。
   (2019.02.04 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

散 歩

2019-03-09 16:14:40 | 岩国エッセイサロンより
2019年2月22日 (金)
散 歩
   岩国市   会 員   片山清勝

 散歩中、たまに立ち話をする人がいる。「じいちゃん、散歩よりウォーキングと言った方がカッコいい」と孫に言われるらしい。若々しい人だから、その通りかもしれない。
 私は定年後に歩き始めたから、今年で19年目だ。最初から10年近くは朝4時に起き、6㌔ほど歩いた。ブログにも会話でもちょっと自慢げに「ウォーキング」としていた。退職してからの健康維持のため、手足を大きく動かすことと歩数、時間を意識した。
 少し体調を崩してから、医師の指導もあって早朝ウオーキングを止め、昼間に歩くことにした。そして表現を「散歩」に変えた。健康のために歩くという点は共通しているが、ウオーキングほどにはノルマ感のない歩き方になったからだ。     
 歩くことの重要性を再認識したのは、初めての入院だった。
 がんの手術前、「しっかり歩くことが回復への近道」と主治医から説明かあった。手術の翌日から院内の廊下を指導受けながら歩いた。続けることで退院への自信がつき、おかげで普通の生活にすぐ戻れた。
 先日、親戚の一人が脳梗塞で入院した。症状が安定すると、時を置かず歩行などのリハビリが始まった。退院後を考えれば苦しくても欠かせない。
 「歩いていける」 「歩いて帰れる」。こうしたごく普通のことができることを幸せに思う。年は足からくる。人生も一歩一歩が大切、散歩もそれに通じる。だから今日も出掛ける。

    (2019.02.22 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

仲間がいる

2019-03-09 16:13:50 | 岩国エッセイサロンより
2019年2月26日 (火)
 仲間がいる
岩国市  会 員   安西 詩代

 見上げると、あちこちから集ってきた数十羽のカラスの異様な声。グルグル回り、おのおのが何かを叫んでいる。 

近くの電柱の電線が輪になっている部分に1羽のカラスが足を挟まれて羽をバタバタさせている。その上段で2羽が心配そうに下を眺めている。空では集った仲間が「こうしたら良いよ」「頑張れ!」と言って飛び回っている。

折しも競泳の選手の病気発表にいろいろな方面の方々の温かいエールが届いている。どこでも仲間がいる。そしてカラスは人に助けられ、鳴き声を残して青空に消えた。

 (2019.02.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

稀勢の里お疲れさま

2019-03-09 16:12:40 | 岩国エッセイサロンより
稀勢の里お疲れさま
   岩国市   会 員   吉岡賢一
 19年ぶり日本出身の横綱稀勢の里関。体の大きさ、風格、柔和な笑顔、どれをとっても大向こうをうならせるスター性を持っていた。相撲界を背負って立つ看板力士になれると、多くの相撲ファンが期待し、応援した。
 信じられない勝負強さで優勝した。勝負の世界に付きものの、天運を呼び込んだのかなと思わせた。大横綱になることを期待した。しかし、天運と背中合わせに潜む大きな不運に取りつかれた。2年前の左胸と左肩の大けがである。
 治療に専念する傍ら、土俵に立てない無念さや「勝って当たり前」の重圧と闘ってきたのだと思う。
 なりふり構わず「張り倒してでも勝てばいい」というタイプではない。むしろ受けて立つ貫禄を示す、良い伝統を受け継いだ優美な横綱であった。
 涙の引退会見。お疲れさまと見送りたい。今後は指導者として「優しさと強さ」を併せ持つ若手の育成に期待したい。 
       (2019.01.19 中国新聞「広場」掲載)

友のおかげ

2019-03-09 16:11:47 | 岩国エッセイサロンより
2019年1月19日 (土)
友のおかげ
      岩国市  会 員   村岡 美智子

 互いに連絡先は知っていたが、長い間、音信の途絶えていた高校時代の親友との交流が復活している。彼女は東京在住、帰省の度に他の友達も加わり、ランチをする。家族のこと、昔話で話は尽きず、しゃべりまくり、解散は夕暮れ時。  
 私が出掛けに、干してよと言わんばかりに洗濯物をドスンと置くと「また、ワシが干さにゃいけんのか」と言う夫。彼女の方は、バタバタしていると「干しとくよ。早く行きな」と言うそうだ。さすが都会シニアのお言葉。帰って、その話をして以来、私かやりますとばかりに進んで干してくれる夫に変身。
      (2019.01.19 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

優しかった父

2019-03-09 16:10:37 | 岩国エッセイサロンより
2019年1月25日 (金)
優しかった父
   岩国市  会 員   樽本 久美
 
 元旦から、書道展に出品する作品を書いていた。全紙に「愚直」の2文字を書く。大筆も先生からお借りし、私なりに頑張って書いてみた。なかなかOKが出ない。私には無理な課題だったのかと悩みながらも書いた。
 書く場所は、今は使っていない実家の仏壇のある部屋である。ここなら、雑音も入らないし、書きっぱなしで後片付けをしなくても大丈夫。2年前に亡くなった父も見守ってくれている。
 ふと、庭を見ると小鳥がやってきた。父が鳥になって頑張れと言っているような気がした。「自分のできる範囲でいいのだよ」と。  
     (2019.01.25 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

弟の干し柿

2019-03-09 16:09:49 | 岩国エッセイサロンより
2019年1月26日 (土)
弟の干し柿
岩国市  会 員   山本 一


9歳下の弟から干し柿が届いた。買ったのかと思ったら、島根の古里から持ち帰り、広島の自宅で約500個作ったという。

父母が他界したのを機に親戚づきあいも含め、古里の管理を弟にバトンタッチした。親戚はみんな独居か老老介護。父母が世話になった分を子供で返す心構えだ。今回の干し柿も約半分はこの親戚に届けたとのこと。他人が口にするものは、それなりの覚悟で作る。皮をむいた後、熱湯で1分間消毒して干す。梱包前には食料消毒用アルコールで処理。私にはとてもできない。心を込めてやっている弟を、今になって見直す。
(2019.01.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

山の土産

2019-03-09 16:08:04 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月 1日 (土)
山の土産
岩国市  会員   貝 良枝

 雑木林の紅葉が色あせだすと「健康のため」と渋々しているウオーキングが楽しくなる。
 キョロキョロと、クリスマスのリースに程良い太さのつるや、赤い実を探す。今年はサンキライの実が見当たらない。夏の酷暑のせいだろうか。代わりに小さいが、ノイバラの実を使おう。マツカサやドングリも拾う。ヤシャブシの実を近くの公園で見つけた時は、思わず「ラッキー」と声が出た。こんなに近くにあったとは。
 日々持ち帰る山の土産がたくさん集まった。リースを作って、部屋にはツリーを飾ろう。もう12月だ。
  (2018.12.01 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

我が家のタマネギ

2019-03-09 16:07:13 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月 3日 (月)
我が家のタマネギ
岩国市  会 員   角 智之 

 今年もタマネギを植えた。苗は9月に種をまいて育てた自前で、理由があって生育途中で定植しなければならなくなった。 
 本来、寒さには強い野菜だが強風を避けるため、保育器の中の新生児をイメージしながら畝を高めに掘り、株間も狭くして線香よりも小さな苗を丁寧に並べて覆土した。
 植え終えて見ると畝幅を狭くしたため畑が余り近くのホームセンターで苗を買い追加した。プロの仕立てた立派な苗で生育は間違いないものの、やはり自前の苗の成長が気掛かりだ。
 追肥など管理を上手にやり、来年5月の結果を待とう。
  (2018.12.03 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

「生きた化石」守ろう

2019-03-09 16:06:16 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月14日 (金)
「生きた化石」守ろう
   岩国市   会 員   角 智之

 8日付岩柳版で「オオサンショウウオ公開」の記事を読んだ。世界最大級の両生類で「生きた化石」ともいわれる国の特別天然記念物は、山口県の錦川支流の宇佐川が本州最西端の生息地とされる。
 現在、生息域で砂防ダムエ事があるのに伴い、来春まで74匹が保護施設で飼育、一般公開されている。
 錦川本流での発見例は聞いたことはなかったが、1975年夏、当時住んでいたわが家の前の錦川でウナギ釣りをしていてオオサンショウウオが釣れた。すぐ家に持ち帰り、やっとの思いでつり針を外し、大きさを測り、写真に撮って釣れた場所に放した。
 さかのぼること2年、そこから約50㍍上流でイモリを見た。その時は不思議とは思わなかったが、今になって思えば渓流にイモリはいない。もしや幼生だったのか、そうだとしたら大発見だったであろう。
 日本や中国など限られた国にしか生息しない貴重な生き物だ。手厚い保護が必要である。

       (2018.12.14 中国新聞「広場」掲載)

身近な風景に新発見

2019-03-09 16:05:22 | 岩国エッセイサロンより
2018年12月18日 (火)
身近な風景に新発見
   岩国市   会 員   片山清勝

 15日付セレクト5面「小瀬川にエッフェル塔」の写真に見入った。塔のような設備は、60年前、国内で初めて石油化学コンビナートが操業した地に立つフレアスタック。余剰なガスを燃焼処理するためのものだ。私は定年までこの塔を見ながら勤務した。
 フレアの炎の大きさが石油化学産業の象徴のような時代もあった。環境に対する社会の意識変化と技術の進歩などで、そうした時代は遠く過ぎ去った。
 長年、塔を見ていたのは小瀬川に架かる国道2号の栄橋からだった。写真のように下流の、それも河口に降りて眺めたことは一度もなく、「エッフェル塔」を捉えたカメラ目線の素晴らしさを知った。
 塔の下を横切るのは連絡橋で、川の両岸の工場が原材料などをやりとりする重要な役を担う。その塔と橋は一体の設備であり、背景の深い青色の空に映える姿に、長年の風雪によく耐えたものと感動した。
 各地でコンビナートの夜景を巡るツアーがある。季節や時間、場所をうまく調整すれば、新しい風景の発見があると思う。観光化されていないさまざまな風景の発掘を期待している。

    (2018.12.18 中国新聞「広場」掲載)