昭和20(1945)年、太平洋戦争末期になると一億玉砕こそが勝利の道と言われるようになった。私も一応、軍国少女のつもりだったが死ぬことがどうしてお国の為になるのか、その為にどうしたら良いのかがさっぱり分からなかった。うろうろと覚悟はつかず、ただ私の人生は15年で終わると思っていた。
8月15日に思いもかけぬ形で戦争が終わった。あれから74年がたつ。もしあのまま戦争が続いていたら果たして生きていただろうかと今も思う。玉砕という言葉は美しいが、おそらく無駄死にしていただろう。戦争だけは絶対あってはならない。
熊本市中央区 増永陽(89) 2019/8/12 毎日新聞鹿児島版掲載