はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

消えぬ記憶

2010-08-05 22:28:11 | ペン&ぺん
 女の人の手を、必死に握りしめた。
 首までつかる泥流の中、片腕で電柱を抱いていた。水の深さは、彼女の身長を超えていた。息をとめて潜水するようにして、より高台にある電柱を目指す。「行くよ」と声をかけながら。
 流れは急だ。所によっては、渦を巻いている。見上げると、マンション3階のベランダから手招きする人がいる。「こっち、こっちへ」。助けようと叫ぶ声。
1993年8月6日。世に言う8・6水害である。
   ◇
 その日の夕刻。甲突川近くの食堂にいた。店には、そこそこ客がいた。
 甲突川氾濫の知らせが入り、店外へ避難することに。店の人の誘導で外に出ようとするが、ドアが開かない。すでに雨水が押し寄せ、ドアの外から水圧がかかっていたからだ。
 何人か力を合わせて、ようやくドアが開く。店内にどっと水が流れ込む。女性客の悲鳴。押し流されるテーブル。記憶は断片的だが、一つ一つは奇妙なほど鮮明だ。
 一気に水かさが増し、ひたすら避難すべき場所を探す。ちょうど大久保利通の像のあるあたり。そこが、わずかに土地が高く、避難した人であふれた。みな表情を失い、ずぶぬれだった。疲れ切って途方に暮れていた。
    ◇
 以上は、深夜、帰宅途中のタクシーの中で、運転手さんから聞いた体験談である。
 鹿児島支局が入っている鹿児島市西千石町のビルにも、8・6水害を示すものがある。1階駐車場の壁。そこに「H5・8・6」と書かれ、浸水した雨水の高さを示す赤いラインが引いてある。地面から56㌢。私のひざ上が水につかる位置だ。
 今年も8月6日が近づく。赤い線は、すでに薄く、所々消えかけたようにも見える。しかし、被害に遭った人たちの記憶は消えない。
 鹿児島支局長・馬原浩 2010/8/4 毎日新聞掲載

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