はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

高校生に学べ

2015-03-01 00:06:22 | ペン&ぺん


 23日付鹿児島版の「太平洋戦争時 鹿児島南高敷地に軍需工場 生徒自ら語り継ぐ 新聞部同好会」の記事を読まれただろうか。戦時中、鹿児島で何があったのか、高校生が懸命に調べ、語り継ごうとしている。県内は地域面だったが、福岡や北九州市など都市部で配っている夕刊は社会面トップで報じた。
 記事に添えた写真を見ると一目瞭然。米機はこんな低空で鹿児島を襲ったのかと驚く。私の母(85)も敗戦末期、学徒動員で浜松市の軍需工場で働き、何度も空襲を経験した。母から聞いていた話と合致する。
 子供の頃、「米艦載機は操縦士の顔が見えるほどの低さで飛んできて、相手が女や年寄りだろうが、機銃掃射は容赦なかった」と聞いていた。平成入った現代、今度はイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の兵器庫などを空襲する映像がニュースで流れる。地上の風景も鮮明だ。ミサイルが命中すると、建物も車両も吹き飛ばされる。そこには人がいるに違いない。それが、戦争なのだろう。 
 さて、私の長女(高3)、次女(中3)。母の戦争体験談や父のシベリア抑留の話をしても「ポッカーン」としている。私が単身赴任7年で、幼い2人に膝を交えて祖父母の話をしてあげる機会がなかったからかな。
 私の小中高時代の教師たちは私の両親と同世代だったこともあり、授業の合間に自身が戦地で体験したことを話してくれる「元兵士」もいた。それは悲惨だった。今でも覚えている。今、現役の教師で戦争体験者はいない。だが、鹿児島南高の取り組のように戦争について調べ、平和を考える方法は幾通りもある。
 今年は終戦70年。3月11日は東日本大震災、福島第1原発事故から4年。鹿児島は戦争から何を学び、発信できるか。そして、さらなる震災支援ができないか考えたい。
  鹿児島支局長 三嶋祐一郎 2015/2/25 毎日新聞鹿児島版掲載

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