はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

イチイガシ

2014-07-27 22:38:44 | はがき随筆
 熊本県水俣市奥地の山紫水明名な里に寒川水源という冷やしそうめんが食べられる所がある。
 その食堂に、樹齢約200年のイチイガシが屋根を突き抜けてそびえている。神木として大切に伝えられていた。
 案内板によれば、西南戦争の時、付近の民家は焼き払われたが、イチイガシだけが燃え残ったという。近くに棚田100選もある、緑豊かなこの地であった、137年前の悲しい事件。
 そうめんもにぎり飯もおいしかったか何か胸につかえる。
 樹皮の剥がれかかったようなイチイガシは、いったい何も私たちに伝えたいのだろう。
  出水市 小村忍 2014/7/18 毎日新聞鹿児島版掲載

竹取物語

2014-07-26 20:56:22 | はがき随筆
 4月に竹の子を食べ、5月にちまきを食べ、さて6月も過ぎた。
 7月は、竹のメイン行事である七夕さんだ。
 幼い頃、長い真竹を庭先に立てた。
 七夕には願いを書いてつるしたものである。
 最近は幼稚園などに七夕さんが立っている風景はほほ笑ましいくもある。
 さて、自分は竹林に入り、孫のために竹馬の竹、園芸用の苗立てなどに利用している。
 ここは風流に、竹の筒に花を生ける竹取じいさんに変身したい。
  鹿児島市 下内幸一 2014/7/17 毎日新聞鹿児島版掲載 

ヤモリ

2014-07-26 20:45:10 | はがき随筆
 湯船につかりほっとしていた時、窓ガラスに白い腹、四肢、5本の葉状の指がぴったり張り付いた1匹のヤモリに気付いた。「あら、来たね。今年は遅かったね」とつぶやく。灯に虫が寄ってくるのを待ち伏せてのことだろう。梅雨になると毎年来るので、旧知でも会うような気持ちになる。いつも白い腹側から見ているが、人の話では敏捷で驚くとキーと鳴いて逃げるという。「守宮」の字画からその昔、何だか特別のおぼしめしのあった爬虫類かなと想像した。小鳥や昆虫など、毎年目にしていたものが見えないと気になる。今年もヤモリに会えた。
  出水市 年神貞子 2014/7/16 毎日新聞鹿児島版掲載

夢幻

2014-07-26 20:38:45 | はがき随筆
 潮騒が聞こえてくる。川面一面に潮と共に銀輪が遡上する。下ってくる時はもう色を失っていた。何の稚魚か成魚か知らないが、庭先の数多くのむしろの上で天日干しされた。
 朝はいつも鉄路の響きで目覚めた。蒸気機関車の汽笛が、いつも一定の音で決まった時間に飛び込んでくる。薄墨色の絵の中に田んぼの草いきれの匂いがしてくる。肩が痛い。背中が痛い。妹を負ぶって母を待つ。土手に腹ばいになって涙を隠した。プチプチと頭の中で泡がはじける音がする。今日も数㌔先の新港に入港するフェリーの汽笛が定刻に耳に届く。
  いちき串木野市 新川宣史 2014/7/15 毎日新聞鹿児島版掲載

梅ちぎり

2014-07-26 15:55:50 | はがき随筆


 子供の頃、夏になると、よくおなかを壊した。祖母は自家製の梅肉エキスをなめさせたが、酸っぱい味は今も忘れない。
 今年も友人の梅林に呼ばれた。畑は40年前、和歌山から取り寄せた苗木が50本の梅林と変わり、枝もたわわに実をつけている。夢中で梅をちぎると、すぐバケツ3杯ほどになる。持ち帰ると妻が梅干し、梅酒、ジャム用にと手際よく仕分ける。
 「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」という。毎年梅を収穫するには枝の切り込みは欠かせず、友人は手入れが大変である。昨年仕込んだ梅酒が熟成した。今夜は氷で割って乾杯しよう。
  鹿児島市 田中健一郎 2014/7/14 毎日新聞鹿児島版掲載 

梅雨の晴れ間

2014-07-26 15:49:49 | はがき随筆
 雨空の下、高速道路を北上する。かねてよりの計画で、娘との2人旅。実家の母親に会いに行く。1年ぶりの母は白髪で、足腰もすっかり弱っていた。重ねた手を離さず涙があふれ、「よく来たね」と何度も。病に倒れた弟を案じ、気弱になっている。弟嫁は自然に振る舞う。「できることは何でもしてもらっています」と笑顔。「食欲もあり、作りがいもあるんですよ」と手料理での接待にも、心がこもっている。聡明で見事なお嫁さんに頭が下がる。弟を見舞い、その日のうちにUターン。翌日は雲が切れ、青空がのぞき、梅雨の晴れ間が広がった。
  出水市 伊尻清子 214/7/13 毎日新聞鹿児島版掲載

掌編小説

2014-07-26 15:42:45 | はがき随筆
 「掌編小説」という言葉を知った。ごく短い小説という。
 第13回毎日はがき随筆大賞受賞作品「葦笛」がそれで、直木賞作家の古川薫さんが審査で絶賛された。
 パソコンで掌編小説を調べたら、字数に制限がある。単独の物語として完結する、とある。そう知ればなるほどと思う。葦笛は私の好きな作品だ。
 枯れ葦の荒野に80余年の生きざまを重ね、悲しいまでの無欲の境地。「春が来れば土を起こし、また新しい種をまくのだ」と希望を持つ。
 涙さえにじんで何度も声を出して読んだ。
  鹿児島市 内山陽子 2014/7/12 毎日新聞鹿児島版掲載

この子らの未来に

2014-07-26 15:35:56 | はがき随筆
 毎日新聞の社説「集団的自衛権 閣議決定に反対する」(7月1日付)。そして、「歯止めは国民がかける」(同2日付)の力強い言葉、集団的自衛権行使容認に対しての。
 子や孫、そしてこれから生まれてくる子供たちに、私たちは何を手渡せるのだろう。
 週末に鹿児島から電車で来る小4と小1の孫たちとサイクリングをしたり、原っぱでおにぎりを食べたりする。先週など、庭の大木の上で宿題を広げていた。2人とも眠って、終点まで行ったことも。
 この子たちが大人になってもかわらない日本を願う。
  薩摩川内市 馬場園征子 2014/7/11 毎日新聞鹿児島版掲載

いけ花の看板

2014-07-25 21:44:17 | 岩国エッセイサロンより


2014年7月25日 (金)


    岩国市  会 員   安西 詩代


「おばちゃん、いけ花って何?」と、近所に住む仲良しの小学3年生の彼に聞かれた。先日玄関先に「いけ花教室」の看板を出したからだ。先輩は「看板を見て入会する方はいないよ」と言った。 
 小学生の時から習い始めたいけ花。子育ての時も親の介護の時も、暇をみては教室に通った。子育てのイライラもお花で紛れていたのかもしれない。
 今の私の師は93歳で現役の教授者。高齢になり足や耳が不自由になられたが、送迎の手助けが必要なだけで、指導の感覚は新しい。いけ花の流行にも敏感な方だ。師からは、いけ花だけでなく、人生の歩み方や母から聞き忘れた礼儀作法を教えてもらい、生き方のお手本としている。
 私が若い頃は、習い事というと華道、茶道が定番だったが、現在は多様化しているようだ。今までは自分の趣味として楽しんできたが、一人でも多くの人にいけ花の素晴らしさや伝統を継ぎたいと思い、恥ずかしい気持ちはあったけれど看板を褐けた。
 小3の彼に「この看板どう思う?」と聞くと、「いいんじゃない!」と答えて くれた。ちょっぴり勇気が湧いた。
   (2014.07.25 朝日新聞「声」掲載)岩国エッセイサロンより転載

20歳、そのとき

2014-07-24 17:26:03 | 岩国エッセイサロンより
2014年7月18日 (金)


岩国市  会 員   吉岡 賢一 

 青年団や自治会が中心になって開催される「慰霊盆踊り」は、地区をあげての夏の夜の風物詩であり、老若男女の楽しみでもあった。

おそろいの派手な浴衣の三十数人が、やぐら囲んで音頭に合わせ、身ぶり手ぶりも華やかに汗を飛ばして舞い踊る。声が掛かればよその地区にも応援に出かけた。
 浴衣姿のうら若き女性を自転車の荷台に乗せ、颯爽と風を切って盆踊り会場をはしごする。そうして青年団同士や他地区との交流を深め切磋琢磨した。
 中には個人的な交流を深め、幾つかのカップルも出来上がった。遠い昔の「あせ物語」。

  (2014.07.18 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

「太陽光」技術向上を

2014-07-10 10:19:20 | 岩国エッセイサロンより
2014年7月 8日 (火)

     岩国市   会 員    山本 一

 電力は不可欠なものだが、今の電力生産は地球を壊すという一面がある。火力発電は地球温暖化をもたらし、原子力発電は制御に不安が残る。 
 今こそ世界が、原発の即時廃止と火電の縮小、自然エネルギーの活用という方向でまとまることが必要である。 
 世界が一丸となり、自然エネルギー活用に知恵を絞る時だと思う。中でも、全ての国のテーマになり得て可能性の大きいのは、太陽光発電ではないだろうか。
 課題の第一は、発電パネルの高効率化だ。第二は蓄電技術の向上。第三に電力の世界相互融通の技術である。送電技術が改良されれは、世界で電力融通が可能になる。環境破壊縮小につながる。 
 「時間をかけて研究すれば、原子力は制御できる」という意見があるが、同じ時間をかけてやるなら自然エネルギーであり、とりわけ、太陽光エネルギーに英知を傾けるべきだと思う。政府は太陽光発電の技術革新に取り組んでほしい。

     (2014.07.08 中国新聞「広場」掲載)岩国エッセイサロンより転載

少年の日の風景

2014-07-08 11:42:03 | はがき随筆
 子供の頃、よく木に登って遊んでいた。高い木になればなるほど、挑戦欲をそそって、いつの満仁か木登りが好きになっていた。津代も終わったある日の午後。「登ってみたいなぁ」と思っていたクスノキのてっぺんまで登ってみることにした。両手に唾をつけ、手をかけた枝が細くなるにつれて目の前が急に明るくなってきた。「うわぁ、たっか」舌をみっとめめがも。「うちもみゆい」と小米で叫んだ。青々と萌える棚田の緑、かやぶき屋根、遠くの山並みの風景をいつまでもぼんやりと枝に座って眺めていた。あの少年の日がいまでも小米に残る。
  さつま町 小向井一成 2014/7/6 毎日新聞鹿児島版掲載

光と影

2014-07-08 11:18:13 | はがき随筆
 

小豆色の枝先に黄緑や赤紫の新芽を出して花を咲かせるヤマザクラが好きで、山口県に住む弟の山で、新芽の色が違う9本のヤマザクラを運び、弟と鉢に植えた。自宅の車庫の軒下に並べて10年たつ。が、花はまだだ。葉陰に椅子を置いてよく読書をする。特に雨の日などしみじみとして格別である。
 「おっ!」。先日、藤沢周平短編集で「山桜」を見つけた。読後、人生を回り道した女性、野江の心情の明暗と一枝のヤマザクラの花の姿に、苦しみ屈折していたわが青春の日の光と影が一瞬、フラッシュバック、しばらく涙は止まらなかった。
  出水市 中島征士 2014/7/8 毎日新聞鹿児島版掲載

どこにも居る顔

2014-07-06 23:35:59 | 岩国エッセイサロンより
2014年7月 6日 (日)


岩国市  会 員   金森 靖子

 園芸店で胡瓜の苗を選んでいる時、「こんにちは」と知らない女性に声を掛けられた。ニコニコと笑っている。私も笑顔で軽く頭を下げたが、誰だか思い出せない。しばらく顔を見つめ合っていたが「ごめんなさい。知っている方と間違えました」と、深く頭を下げ帰って行かれた。ふと笑いが込み上げる。
 今まで何人の人に間違って声を掛けられたことだろう。よく行く郵便局では、ガラス越しに話しかけるような笑顔をしてくれる男性局員さんがいた。また、病院の待合室で。信号を待つ間の向こう側で。挟いこの街に、私は何人も居るようだ。
 (2014.07.06 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

希望の星

2014-07-06 06:37:22 | はがき随筆


 僕は2歳半の男の子。朝は誰よりも早く起きて、パパやママの枕元をチョコチョコ歩き台所へ。食べ物はここだと思うが、何も見つからない。おなかがグウグウ鳴る。流し台には顔も届かず、冷蔵庫はしっかり閉じられている。じいじが僕を見に来た。「何しているの、もう夕べの食べ物は残ってないよ」。「あーあ、つまらない」
 今のところ、食べることしか頭にない。「それにしてもママもグウグウ寝てるな」
 起きていても何も出来ないから、また布団の中へ潜り込もうっと。それでも、僕は皆にとって希望の星であるらしい。
  肝付町 鳥取部京子 2014/7/5 毎日新聞鹿児島版掲載