名古屋で誕生し、信州信濃の善光寺の街で育った。
親父が戦争の道具である戦闘機の設計技術者だったが、敗戦で失職、教職の道を選択したからである。
酒豪の親父だったが帝国大学の優等生だったから混乱の世でも運よく就職できた。
力道山が希望の星だったテレビ時代の黎明期、石堂町の刈萱堂の境内のテレビ中継を兄貴に連れられ始めて見た。
音声は聞こえるが画像は微かに見える白黒テレビ。
貧乏人の子沢山の家庭にテレビが到着したのは高校生の時、事件記者や夢で会いましょうに熱中した。
女房が持参したテレビは日立の19型だった。10年苦楽を共にした。
10年後に故障し、SONYのトリニトロン32型カラーテレビをローンで購入した。
そして今年、勤続疲労で壊れてしまった。
年金生活の乏しい基金を工面して液晶40型を購入する覚悟を決めた。
5万円を下回るデフレ価格、即金で決済。
アナログモノクロ時代は内容が豊かで夢に満ちていた。
美しいカラーのデジタルテレビ時代の内容は陳腐でつまらない、何故だろうか?