正月の松の内に、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂で営まれる法要「修正会(しゅしょうえ)」がある。その行の中身というのは吉祥天に反省し祈る「吉祥悔過(きちじょうけか)」である。
生きる為に、他の動物や植物の命を頂き、住居を作るために、山を切り崩し、原油を掘ることで地球を破壊する。その反省の気持ちを伝える。人間の性善説の発露である。
そして、末永くこの悪行を継続することをお願いする。豊かな台地に実り多く、多くの人間が心豊かに生活することをお祈りする、身勝手な人間の性悪説の表現である。
吉祥天が細い目の穏やかなお顔の受動(静)の善の喜び。眉をつり上げた表情の毘沙門天は能動(動)の悪に対する怒り。オン マカリシエイ ソワカと呼びかける吉祥天は妻、オン ベイシラマナヤ ソワカの毘沙門天は夫の夫婦である。
万物の霊長と威張っている全ての人間には仏様と悪魔が同居している。善と悪のバランスをとる心が、個人の人間性で性格である。
唯一、大きな頭の二足歩行する人間が、欲を武器に自然に挑戦し破壊活動に熱心である。そして強欲な独善的な人間を、独善的に人間集団が英雄として称える。
人間を除く山川草木一切有情は、適者生存の進化論で淘汰され、地球環境を急激に変化させる種は存続が不可能である。
無力な畜生達、植物達、鉱物達は、人間の環境破壊に反抗することなく絶滅し、枯渇して地球から黙って消える。
多くの自然のご縁を頂戴し、辛うじて生かされていると思うお蔭様は、日本人の心である事を、聖徳太子以来千数百年継続する斑鳩の里の「吉祥悔過」が教えてくれる。反省と祈りは謙虚な心でもある。
生きる為に、他の動物や植物の命を頂き、住居を作るために、山を切り崩し、原油を掘ることで地球を破壊する。その反省の気持ちを伝える。人間の性善説の発露である。
そして、末永くこの悪行を継続することをお願いする。豊かな台地に実り多く、多くの人間が心豊かに生活することをお祈りする、身勝手な人間の性悪説の表現である。
吉祥天が細い目の穏やかなお顔の受動(静)の善の喜び。眉をつり上げた表情の毘沙門天は能動(動)の悪に対する怒り。オン マカリシエイ ソワカと呼びかける吉祥天は妻、オン ベイシラマナヤ ソワカの毘沙門天は夫の夫婦である。
万物の霊長と威張っている全ての人間には仏様と悪魔が同居している。善と悪のバランスをとる心が、個人の人間性で性格である。
唯一、大きな頭の二足歩行する人間が、欲を武器に自然に挑戦し破壊活動に熱心である。そして強欲な独善的な人間を、独善的に人間集団が英雄として称える。
人間を除く山川草木一切有情は、適者生存の進化論で淘汰され、地球環境を急激に変化させる種は存続が不可能である。
無力な畜生達、植物達、鉱物達は、人間の環境破壊に反抗することなく絶滅し、枯渇して地球から黙って消える。
多くの自然のご縁を頂戴し、辛うじて生かされていると思うお蔭様は、日本人の心である事を、聖徳太子以来千数百年継続する斑鳩の里の「吉祥悔過」が教えてくれる。反省と祈りは謙虚な心でもある。