老人より10才若い安部晋三が52才の時に総理大臣になり「美しい国・日本へ」と言って華々しく登場した時は祖国も浄土になるだろうかと淡い期待をした。
病に倒れ、一年で政権を放棄し、7年後に再登場、アベノミックスなる経済一辺倒の長期政権で「モノで栄えて心が荒んだ」世間は穢土だろう。
コロナ禍でマリオに扮して招致した東京五輪も中止の雲行き、経済が下降線になった時期に病気が再発したのは幸運だった。
後継に指名された「ガースー総理」は「自助・共助・公助。この国づくりを行なっていきたいと思います」と述べたがすぐに撤回したのは残念至極である。
懸命に生きる夫婦が神仏の加護が有れば共白髪まで、大和魂だった。
モノで栄える現代社会では公助とは国民の所得から税を控除する議院内閣制の行政府の役割だろう。
しかし議院も内閣も自助努力に専念し互いに共助に忙しく、公は眼中にないから国民が公助を切望しても叶わない。
老人は外出自粛し浄土到来を只管欣求する自助努力が生甲斐なのだ。