
神ってる、世間常識では考えられない事案が発生した際に当事者でなく他人が評論する言葉だろう。
大相撲で幕尻の徳勝龍が幕内最高優勝し天皇賜杯を獲得した。母親でさえあるわけないと思っていた。
昭和61年生まれの33歳は相撲界では老兵で消え去る時機に来ている。同年の横綱稀勢の里は引退し、大関豪栄道は大きく負け越し来場所は関脇になる。
何故、優勝できたか?
動機づけや目的意識が強烈だったようである。場所中に大学の恩師が亡くなりその弔いがモチベーションに成ったと述べる。
美談の様だが、一度立ち止まって考えてみると奇妙な話である。
玄人の相撲界は親方衆が伝統を伝承する村社会だろうが、親方を差し置いて素人の大学の相撲部の監督の恩義を優先させる、これでは村は限界集落になるのだろう。
象徴天皇を頂く法治国家の相撲界がモンゴル民族の伝統に支配されるなら無法社会になるだろう。
「自分なんかがいいんでしょうか」、西前頭十七枚目の本人は自覚している。
政権を私物化する総理大臣は他山の石とするのが良いだろう。