昨晩は恒例の月に二度の参禅会だった。膝が痛むので半跡朕座、法界定印を結び、三点鐘から微動だにしない四十分、心は千々に乱れるが時間が経過し、我が消える諦めの自覚が芽生える頃に一点鐘が鳴り、座禅を終える。
月初めから市田干柿の完全自動の柿の皮むきの作業の為に南信濃の果樹農家に十日間ほど滞在した。
所定の位置に柿を載せる単純作業を長時間続けるのであるが、多感な若者には退屈で、耐えられない作業、諦めの境地の老人に残された最後の砦と思えば頑張れる。
農作業に没頭すれば苦痛も消え無我となり休憩時間、岡崎の曹洞宗・永泉寺の座禅と同じ、禅の道場は世間に無数に存在すると思う。