宗教心は信心 2012年05月12日 08時33分46秒 | 随想 義父の法要を来年卒寿を迎える義母が導師になり営まれ、正信偈を皆で唱えた。 帰命無量寿如来 南無不可思議光・・・ 阿弥陀様はどんな悪党も必ずお助け下さる、ならばどんな悪事も許される? 神に似せて造られた人間は万物の霊長だから何でも許される? 違和感がある。 悪い事をするな、良い事をしなさい、神仏の共通の教え。 良い行い、悪い行いって何だ? その悩みが宗教を始動させる。 « 羽ない人間は国境を超えられない | トップ | 待ち遠しいはキャノット・ウ... »
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