娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ
山男よく聞けよ 娘さんにゃ惚れるなよ 娘心はよ 山の天気よ
昭和37年(1962年)のNHK紅白歌合戦でダークダックスが歌い大流行した。元は江田島の海軍兵学校で愛唱された「巡航節」の替え歌である。
雪をあざむく白地の事業服 胸のマークはヨー 一の文字よ
1962年はカストロ・フルチショフとケネディのキューバ危機の年だった。毛沢東やドゴールは政権末期だった。堀江謙一が太平洋一人ぼっちで帆走した。国産旅客機のYS11が初飛行した。
いつでも夢を、遠くへ行きたい、赤いハンカチ、振り向かないでetcが流行した。
爺さんは山に芝刈りに、婆さんは川で洗濯の役割分担を教える桃太郎のお伽噺で育った世代。魔物が住む深山に分け入るのは若者の仕事だった。
戦後の西洋科学主義の教育は、危険な山歩きに挑戦する冒険心を若者から奪い去った。その欲求不満が爆発するのが、中高年の登山ブームである。
過酷な山歩きは若者の特権である。安楽な生活の延長上で深山の団体縦走に参加したのは無謀だった。人との競争の団体生活の多数決の論理は弱者を抹殺する。人生経験の違いによる体力差が大きい老人は、60歳を過ぎたら登山ブームのメンバーから削除してもらうべきである。自動車の運転免許と同様に、傍迷惑である。
70歳を越えてエベレストを登頂した三浦雄一郎は、過酷な訓練を長時間継続し、多くの人の助けと膨大な資金を費やし、一将功なって、万骨が枯れたのである。桃太郎はイヌ、サル、キジの参謀に恵まれた。
若さは心の有様とサミエル・ウルマンは述べるが、精神力だけでは自然力には叶わない。半分の体力で、倍の時間を掛けて目標を達成するのが、無名の老人の若さの心の有様である。

山男よく聞けよ 娘さんにゃ惚れるなよ 娘心はよ 山の天気よ
昭和37年(1962年)のNHK紅白歌合戦でダークダックスが歌い大流行した。元は江田島の海軍兵学校で愛唱された「巡航節」の替え歌である。
雪をあざむく白地の事業服 胸のマークはヨー 一の文字よ
1962年はカストロ・フルチショフとケネディのキューバ危機の年だった。毛沢東やドゴールは政権末期だった。堀江謙一が太平洋一人ぼっちで帆走した。国産旅客機のYS11が初飛行した。
いつでも夢を、遠くへ行きたい、赤いハンカチ、振り向かないでetcが流行した。
爺さんは山に芝刈りに、婆さんは川で洗濯の役割分担を教える桃太郎のお伽噺で育った世代。魔物が住む深山に分け入るのは若者の仕事だった。
戦後の西洋科学主義の教育は、危険な山歩きに挑戦する冒険心を若者から奪い去った。その欲求不満が爆発するのが、中高年の登山ブームである。
過酷な山歩きは若者の特権である。安楽な生活の延長上で深山の団体縦走に参加したのは無謀だった。人との競争の団体生活の多数決の論理は弱者を抹殺する。人生経験の違いによる体力差が大きい老人は、60歳を過ぎたら登山ブームのメンバーから削除してもらうべきである。自動車の運転免許と同様に、傍迷惑である。
70歳を越えてエベレストを登頂した三浦雄一郎は、過酷な訓練を長時間継続し、多くの人の助けと膨大な資金を費やし、一将功なって、万骨が枯れたのである。桃太郎はイヌ、サル、キジの参謀に恵まれた。
若さは心の有様とサミエル・ウルマンは述べるが、精神力だけでは自然力には叶わない。半分の体力で、倍の時間を掛けて目標を達成するのが、無名の老人の若さの心の有様である。
