昨年は源義経が源平合戦で勝利した四国讃岐の屋島を訪れた。遍路旅の札所があるからである。そして最近、奥飛騨温泉郷から越中富山を旅した。
県庁所在地から射水・高岡の日本海岸を走行、氷見港に到着。途中に立山連峰を海越しに見える景勝地・雨晴海岸があり、義経岩が存在する。
異母兄の頼朝と仲違いし京都からの逃亡者になった義経、牛若丸が五条大橋で子分にした比叡山の武蔵坊弁慶が義経と見破られ主人を殴る事で温情にすがった場、加賀安宅関あるいは小矢部川の如意の渡しの途中でにわか雨に遭遇、弁慶が大岩を持ち上げ雨宿りした岩が義経岩、雨が止み晴れるのを待った海岸・雨晴海岸。雨が止み出現した海の向こうの立山連峰に感動、平泉までの苦難の旅の元気を頂戴したことだろう。
弁慶の延暦寺の参禅会には七年通った。義経とのご縁に驚く。
義経は北海道からモンゴルに渡り成吉思汗になった。子孫が大相撲の横綱になっても違和感が無いから信憑性が高まる。
親父の本籍が北海道函館市舟場町だった。義経に遭遇する機会が頻繁に起こるのは義経の魂の叫びなのであろう。
私は義経の落胤の子孫であると思えば苦難の人生も楽しくなる。義経の苦しみを思えば恵まれた人生だった。悲劇性が無いから判官びいきは必要としない。