風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

三英傑の脳味噌は八丁味噌 215号

2008年01月01日 09時40分59秒 | 随想
「三河地方が戦国時代に三英傑を生み、岡崎出身の徳川家康が天下を治めたのも、八丁味噌と関係があるのかもしれない。ボケ防止の効果も期待できる」

八丁味噌に脳の学習能力を向上させる効果があることを発見した、大学教授の発言の新聞記事である。マウスを使って、四週間、八丁味噌と普通の豆味噌、味噌以外の餌を、5匹のグループに別け与えた。脳の学習能力を向上させる物質が、八丁味噌マウスに増加していた。味噌だけの食事は偏り、不自然な気がする。マウスも飽きてしまうだろう。

八丁味噌は豆味噌を樽に仕込み、穴太衆積で石を積み上げ2年半熟成する間に脳に良い物質が形成されるのだろうと推論している。人間は石の上にも3年と言われ、辛抱すると独立できるが、味噌は石の下で半年早いのである。

穴太衆(あのうしゅう)は、安土桃山時代に活躍した、主に寺院や城郭などの石垣施工を行った石工衆であり、比叡山延暦寺の山麓出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。寺院の石工を任されていたが、高い技術を買われて、安土城の石垣を施工したことで、織田信長や豊臣秀吉らによって城郭の石垣構築にも携わるようになり江戸時代初頭にかけて多くの城の石垣が穴太衆の指揮のもとで造営された。

戦国時代の三英傑は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康である。鳴かないホトトギスを贈られた時の言葉で、それぞれの性格が解かるのである。鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす(信長)・鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす(秀吉)・鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす(家康)で、創業者の激しさ、混乱期の狡猾さ、安定期の鷹揚さで日本国を統一した。その脳味噌は八丁味噌を食べた為に活性化して天下泰平にしたのだろうか。

経済戦争の戦国時代の現在、自動車産業で世界制覇を達成したTOYOTAは三河地方が発祥の地である。歴代の社長は幼少の時から、八丁味噌を食べ、脳味噌が活性化したのだろうか。

名古屋界隈では、味噌カツや味噌煮込みうどんや味噌おでんなど、好んで八丁味噌を食べる風土では有る。教授は「八丁味噌と関係があるのかもしれない」と推論するが「八丁味噌と関係がないかもしれない」とも推論できるのである。福田総理は上州群馬であるから、脳を活性化したのは、かかぁ天下と空っ風であると推論できるのだろうか。

信長はキリスト教の保護者であったが、家康は浄土教「厭離穢土・欣求浄土」の信奉者であった。秀吉曰く私には吉光の銘刀の宝がある。家康曰く私には命を惜しまぬ五百騎あり。

信長・秀吉は物志向が強く、反面家康は心を大切にする人物であったのかもしれない。家康がとりわけ八丁味噌を好んで食べた結果、心を重視する脳が活性化されたのなら、八丁味噌は心を豊かにする効果があると推論できるのである。岡崎城と「純情きらら」の八丁味噌の故郷の八帖町はすぐ近くで、800m(八丁)である。

この新聞記事で八丁味噌の人気爆発なら、理学の研究者の大学教授は専攻を変更して、宣伝広告の学科を創設すると良いと思うのである。ボケが心配な私は、教授の言葉を信じ、せいぜい八丁味噌を摂取することにする。信じるものは救われるのである。

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。