風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

相対比較は蜜の味 216号

2008年01月06日 13時37分35秒 | 随想
他人と比較して競争するのが、経済的には資本主義、政治的には民主主義が国家の姿であると言う。ブルジョアジーとプロレタリアートに二極分化するが、それぞれの階級は、人が人を相対比較して評価し序列が出来る競争社会である。結果として勝組と負組の格差社会となるのであるが、人間の本性に忠実な仕組みのように見える。

「優れゆく者を讃え、妬まず誹謗せず」の仏の心は、同じレベルの人間集団である純真な学生時代は、相対評価の競争は好結果が期待できるが、死活問題の生活苦のある社会人集団では、一筋縄ではいかない。

自己の能力を開発して、相対的に優秀であると評価されるのが常識的な評価基準であるが、高学歴社会では、能力開発に限界があり、多くの人が限界点に有る「どんぐりの背比べ」なのである。そこで考え出されたのが、減点主義という悪魔のささやき「人の不幸は蜜の味」である。優秀な人の相対比較は回避して自分の劣等感を封じ込め、劣等の人との相対比較を優先して優越感を持つ悪魔の相対比較である。この哲学の流れに乗る、物・金に恵まれる国家システムが物・金で栄える日本の格差社会である。「人の不幸は蜜の味」は心荒んだ守銭奴の論理で、堕落の坂を転げ落ちている。

アトランタ五輪女子マラソンで有森裕子は、銅メダルを獲得した。ゴール後のインタビューで「メダルの色は、銅かもしれませんけれども……、終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし……、初めて自分で自分をほめたいと思います」と涙ながらに語った。

バルセロナオリンピック男子マラソンで谷口浩美は優勝候補とされていたが、23kmの給水時に転倒し、さらにシューズが脱げて履き直すアクシデントが影響して、後半次々と追い抜きをかけたが惜しくも8位入賞に留まった。本人は「こけちゃいました」と言って笑っている。

有森裕子も谷口浩美も、相手との相対評価でなく、自分と自分の絶対評価が、言わせた言葉なのだろう。金メダルには縁が無かったけれども、印象が強いのである。

西宮の臨済宗海清寺の門前には「自分の中にはもう一人の自分がいる」と書いてある。そして山田無文老師の言葉は、人間には二人の自己があるとよく言われる。鈴木大拙博士のいわゆる、霊性的自己と感性的自己であろう。感性的自己とは、肉体を持ち感情を持ち欲望を持ち、そして生活しておる常識的な自己である。それは時間的にも空間的にも、すべてに制約される自己であって、常に不安な自己である。 霊性的自己とは、普遍的な根源的な人間性そのものを言うのであって、何ものにも限定されない永遠に自由なる創造的自己である。

有森も谷口も、マラソン競争の場を借りた、感性的自己と霊性的自己の戦いであった。戦い終わってのコメントは2つの自己が合一した自己が言わせた。人に感動を与えた効果は金メダル以上の価値が有り、物・金よりも心の有様が大切なことを教えてくれ、「武士は食わねど高楊枝」の日本人の武士道の精神と重複するのである。そして自己と自己の戦いは周囲の人を傷つけない安全な戦争なのである。

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