
安土桃山時代に織田信長は天下を武力で平定する決意で戦った。その一つが比叡山延暦寺の焼き討ちだった。
「武」なる漢字は「戈」と「止」の合成語で「戦いを止める」即ち平和志向なのだろう。
堕落した仏教界を徹底的に破壊しようとしたが、決して壊れないものが有った。
崩れなかった頑丈な石垣は、自然の石を一切の加工をせず、そのまま積み上げる、“穴太衆積み”という独特な技法で積まれていた。
鎧兜を脱いだ信長は安土城の石垣を“穴太衆積み”にする。
「大きな石も小さい石も、それぞれに役割があり、無駄な石はない。それは社会と一緒だ。」
NHKの「サムライ ウォール」を視聴した。穴太衆の親方が単身米国に出張、テキサスのロレックスタワーに石垣を建設する話だった。
新国立競技場を設計した隈研吾氏の作品、石垣をイメージする独創的な建物、丹下健三氏の代々木体育館に匹敵する名建築と思う。
武士の鎧兜の収集家である外国人が施主で、古き良き日本を礼賛するのが外国人であることは日本人として寂しい限りだ。