自然崇拝のアニミズムは生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂が宿っているとい考え方で、草木瓦礫山河大地大海虚空が全て真如であるならば仏でないものはない。
日本では、生活水や水稲栽培の水源・狩猟の場・鉱山・森林などの生活手段の場、雄大な容姿や火山などの景観から、人間は畏敬の念を抱き、山には神霊が宿る、あるいは降臨する場所と信じる山岳信仰がある。
カールブッセの詩「山のあなたの空遠く(幸)住むと人のいふ。噫、われひとと尋めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになほ遠く(幸)住むと人のいふ」という言葉が、日本人の心情を述べている。
日本人の場合、山自体を信仰する気持ちももちろんあるのだが、山頂から早朝に拝まれるご来光を非常にありがたがる傾向が強く、山頂のさらに彼方にあるもの浄土を信仰していることが原因であろう。日本ではアニミズムとしての太陽信仰と山岳信仰が結びついているのである。東には薬師様の浄瑠璃浄土、西には阿弥陀様の極楽浄土、南には観音様の補陀落浄土、北の浄土は知らない。
山岳信仰が道路や鉄道を、川筋・谷筋を通過し、峠を越えて造った。山を傷つけるトンネルや切欠道は最小限に止めて、山を保全してきたのである。人が歩くことで出来た古道は景観が美しく、曲がりくねっているが、勾配が緩やかで、道中が有り、歴史が偲ばれロマンチック・アナログ街道である。
文明開化と共に流入した西洋の思想は、山には神霊など無く、百数個の化学元素で構成される物質の集合体にすぎないという唯物論である。古代メソポタミア神話で、ギルガメッシュ王が、エンキドゥと共謀して、森の神フンババを殺害して以来、山は物になった。キリスト教の万物の霊長・支配者の拡大解釈が、人間を傲慢・独善・自己中の極悪人にして、環境破壊の犯罪者にしてしまった。
密教、道教の流れをくんだ修験道が奈良時代に成立して、開祖は神変大菩薩・役小角である。神仏習合で天台宗の「山も川も草も木も、もちろん人間も皆仲間である」という思想になり、その実践が相応和尚の千日回峰の荒行なのである。満行すると、「草木国土一切有情と私は一つであるから、私同様に大事な存在である」となるようである。
工業製品も製造に関わった多くの人のご苦労を思うと、霊の存在を感じ、粗末に出来ない。石油の応用化学で製造されたプラスチック製品を大量消費・大量廃棄してきた反省が、心を天然自然に、特に山に向わせるのである。仲間である山の木々の恩恵に与り、木製品を大事にして、循環させると、持続可能な社会の実現である。森の神フンババの復活を願う心が大切である。フンババの供養を兼ねて、月末に果樹園の手伝いを計画している。
日本では、生活水や水稲栽培の水源・狩猟の場・鉱山・森林などの生活手段の場、雄大な容姿や火山などの景観から、人間は畏敬の念を抱き、山には神霊が宿る、あるいは降臨する場所と信じる山岳信仰がある。
カールブッセの詩「山のあなたの空遠く(幸)住むと人のいふ。噫、われひとと尋めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。山のあなたになほ遠く(幸)住むと人のいふ」という言葉が、日本人の心情を述べている。
日本人の場合、山自体を信仰する気持ちももちろんあるのだが、山頂から早朝に拝まれるご来光を非常にありがたがる傾向が強く、山頂のさらに彼方にあるもの浄土を信仰していることが原因であろう。日本ではアニミズムとしての太陽信仰と山岳信仰が結びついているのである。東には薬師様の浄瑠璃浄土、西には阿弥陀様の極楽浄土、南には観音様の補陀落浄土、北の浄土は知らない。
山岳信仰が道路や鉄道を、川筋・谷筋を通過し、峠を越えて造った。山を傷つけるトンネルや切欠道は最小限に止めて、山を保全してきたのである。人が歩くことで出来た古道は景観が美しく、曲がりくねっているが、勾配が緩やかで、道中が有り、歴史が偲ばれロマンチック・アナログ街道である。
文明開化と共に流入した西洋の思想は、山には神霊など無く、百数個の化学元素で構成される物質の集合体にすぎないという唯物論である。古代メソポタミア神話で、ギルガメッシュ王が、エンキドゥと共謀して、森の神フンババを殺害して以来、山は物になった。キリスト教の万物の霊長・支配者の拡大解釈が、人間を傲慢・独善・自己中の極悪人にして、環境破壊の犯罪者にしてしまった。
密教、道教の流れをくんだ修験道が奈良時代に成立して、開祖は神変大菩薩・役小角である。神仏習合で天台宗の「山も川も草も木も、もちろん人間も皆仲間である」という思想になり、その実践が相応和尚の千日回峰の荒行なのである。満行すると、「草木国土一切有情と私は一つであるから、私同様に大事な存在である」となるようである。
工業製品も製造に関わった多くの人のご苦労を思うと、霊の存在を感じ、粗末に出来ない。石油の応用化学で製造されたプラスチック製品を大量消費・大量廃棄してきた反省が、心を天然自然に、特に山に向わせるのである。仲間である山の木々の恩恵に与り、木製品を大事にして、循環させると、持続可能な社会の実現である。森の神フンババの復活を願う心が大切である。フンババの供養を兼ねて、月末に果樹園の手伝いを計画している。