ヴォンフォンの列島直撃で不安な一夜が明け、台風一過の晴天の朝。
荒天は農作業を不可能にし、退屈な老人の脳裏を過ぎる思いは悲惨な結末であるが、杞憂だった。
曹洞宗青山尼僧の本を読み、道元禅師の只管打座の解説に納得した。
万物には仏心があり、霊長の人間は本来仏であるが故に辛い坐禅に耐えられる。坐禅修業で仏になるのではない。
善人だから極楽往生は当然と思うは傲慢、悪人と思う凡夫こそが阿弥陀様の救済の対象である。
世間常識を逆転する発想が仏教のようだ。
自然と共生する勤勉な貧乏人が主役の世間が即身成仏の現世極楽なのだろう。蟻とキリギリスのイソップ寓話は奴隷の思想と言うが、主人は大自然で人間ではない。
