風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

懐古する鉄道浪漫

2019年09月23日 05時18分05秒 | 随想

戦前の国鉄の蒸気機関車牽引の列車愛称は富士(ふじ) 櫻(さくら) 燕(つばめ) 鷗(かもめ) だったが、敗戦によって消滅した。

小学生になった昭和25年の 東京~大阪間の「つばめ」は戦後の国鉄を象徴する列車として走り続けた。

善光寺の門前町の長野市営球場でプロ野球を観戦した記憶がある。

国鉄スワローズの試合で対戦相手は思い出せないが、高校の10年先輩の町田行彦がホームラン王になった年だから11才だった。町田がホームランを打ち、金田正一が完投勝利投手だった。

場内アナウンスでスワローズのニックネームが特急「つばめ」に因んでいる事を紹介し、裏話として当時の国鉄は混雑の極み、座席確保は至難だったから「スワローズは実はスワローゼ」、そんなユーモアを思い出した。

昭和31年の20系客車の「あさかぜ」は 初の「ブルートレイン」となり、昭和33年の151系「こだま」は 東京-大阪間に電車を使用した特急列車として登場、キハ80系「はつかり」は上野-青森間の初めての気動車による特急列車。

昭和39年に東京~新大阪間に開業した時速210キロの〇系東海道新幹線「ひかり」には明るい未来を確信した。

社会人となり生活に追われ徐々に鉄道に対する興味も減退したが、老齢となり懐古すると、科学技術の過信で時速300キロを超え、超電導磁気浮上リニア中央新幹線の時速505キロには鉄道浪漫が消滅し恐怖を覚える。


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