風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

急がば廻れ 43号

2007年03月10日 10時51分48秒 | 随想
慌てて騒いだり行動したりすると、却って損をすることが多いので、焦らずに落ち着いて行動するとよい結果になることを、「急がば回れ」と言うのである。「急がば回れ」の語源に興味があったので、調べた。室町時代の柴屋軒宗長(さいおくけんそうちょう)の和歌に「もののふ(武士)の矢橋の舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋」があり、これが出典のようである。室町時代の舟は遊園地の手漕ぎボート程度の大きさであったのであろう。
矢橋港は、草津市南西部、琵琶湖東岸にあった港。江戸時代に東海道で京へのぼるとき、瀬田の唐橋を経由するよりも、この矢橋から船で大津へいたるほうが行程的に短くてすむことから当時の旅人に重宝がられ、草津宿の発展などにも重要な役割を果たした。しかし比叡おろしなど悪天候なら欠航となり、幾日も足止めになるので、そんな時は歩いて「瀬田の橋」を行った方が早く京都に到着できる。急ぐなら回り道した方が、肉体的にはしんどいけれども良い選択である。湖の南端から流出する水は瀬田川、宇治川、淀川と名前を変え、大阪湾へ至る川に架かる「瀬田の橋」は瀬田の唐橋、瀬田の長橋ともいい、長さは百九十六間(355メートル)である。近江八景の一つ「瀬田の夕照(せきしょう)」として有名な橋で、古くは日本書紀にも登場する。橋の起源は古いのである。
矢橋港から対岸の大津への航路には、今は近江大橋があり、急いでいても、瀬田の唐橋に回り道することは無い。忘れられる運命にある諺である。
松尾芭蕉が瀬田の唐橋を俳句にしている。「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」 五月雨に煙る琵琶湖で周りの風景は何も見えないが、瀬田の橋だけは隠れないで見えている。
アメリカの物質文明に毒されている現在の日本人は、芭蕉に興味を示さない。早く早く、もっともっとで行動する。旅をしたら、名所旧跡をどれだけ多くを回ったかで、満足する。料理の品数で価値を判断する。過酷な旅程であると旅費が割安であると感じる。そして天候が悪いと不満を言う。そもそも旅を自身で企画する楽しみを放棄して、旅行社のメニューから選択する。旅を商品と言うことに馴染めない。
古い日本人の旅の目的は人に会いに行くことであった。名所旧跡や料理など物の追及や金銭的な経済性とか時間消費の効率性とは無縁である。葬式や法事、結婚式など義理人情のしがらみが動機で移動した。その過程で名所旧跡を訪ね、土地の食事のもてなしに感動し、人の心の温かさに癒された。お陰さまで良い旅を頂いたという感覚である。
人の行かない平日に無名の街を鈍行列車で訪ね、ゆったりと時間を浪費したい。徒歩で名もないお寺で住職と立ち話をしたり、農家の人と世間話をしたり、小さな民宿に投宿して囲炉裏の炎で調理した普段着の郷土の料理を頂き、温泉で疲れを取り、主人と共に酒を飲み会話を楽しみ、思い出を蓄積したい。すると芭蕉の心が本当に理解できるのだろう。旅の原点に還り、反骨の頑固な旅を夢見ている。竜安寺のつくばいの「吾唯足知」の旅でもある。

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