正月元旦・2日は大晦日から泊まりに来た喧嘩の絶えない孫達の相手で疲れた。聖徳太子は和を以って貴しと為すと述べたが、そんな貴い仏教哲学は我が祖国から消えてなくなったのだろう。
初詣は松平郷の高月院なる浄土宗の寺院だった。以前に訪れ、ご朱印を頂戴した時に住職が法話を述べながらの墨蹟揮毫に感動したので夢をもう一度、初夢を見よう、再訪したのだった。対物販売が主流となっている買い物、対面販売は地方の山寺に辛うじて残っている。
前回は老人だから住職、今回は若者だったから副住職だろうか、伝統は継承されている。
死んだら価値がなくなるモノは何ですか、そんな質問だった。答えは「紙幣」。命が尽きたら単なる紙切れの紙幣、生きてる間に有効に使うのが仏法にかなうと述べる。
そして山門をリホームする為に五百円寄進したら天下和順と朱蹟揮毫した番号入りの紙切れを頂戴した。寺が朽ち果てる事を回避する手助けが出来たのだろう。四万枚が努力目標との事だった。
有能な人間が稼ぎ、其の稼ぎに比例して多くの凡人に自発的に御裾分けするなら平和で戦争が回避できる。有能とは思えない政治家の税の分配は世間を穢土にする。
松平郷が故郷の徳川家康の旗印である厭離穢土欣求浄土の意味だろう。一億総中流が古き良き昭和時代の国民感情だった。