毎年恒例の岡崎花火大会があった。天候急変の雷鳴が轟き、花火を叩き落し、矢作川の岸にある八帖清掃センターを直撃破壊した。自然の神が、好況で浮かれている人間に対して警告を与えたのであるとする考えは、考え過ぎである。たまたま雷雨があっただけの話である。
打ち上げ花火は徳川家康の誕生の岡崎城がある三河地方で、鉄砲の火薬製造の職人が余興で始めたという。天下統一した家康が江戸城に移り住み、両国の隅田川の花火まつりが有名になった。
両国の川開きでは上流に玉屋、下流に鍵屋がそれぞれ舟を出して競演し、「鍵屋あー」「玉屋あー」と江戸の人々は声を出し、花火の人気投票をした。鍵屋の七代目が番頭の清七に暖簾分けする際、鍵屋の守護神であるお稲荷さんの狐が、一方は鍵をくわえ、一方は玉をくわえていたところから玉屋の屋号を与えた。
評判がよかったのは玉屋のほうで、「玉屋だと又またぬかすわと鍵屋云い」と川柳にある。しかし、玉屋は不慮の失火により江戸所払いとなる。今は細谷火工と丸玉屋小勝煙火店の2社が担当している。
隅田川の川幅は160メートルで、5号玉(尺貫法で5寸=17cm)が打ち上げられたときの高さは190メートル、開いた時の直径は150メートルなので消防法から5号玉が限度である。花火玉は、尺貫法の1寸(3.3cm)の10倍が尺玉と言われる、10号玉は直径33cmである。
新潟県小千谷市の「片貝まつり」で、世界最大の40号玉(120cm)の花火が山中で花開く。信濃川河川敷の「長岡まつり」と東京電力柏崎刈羽原電のある「ぎおん柏崎まつり」と併せて、川の長岡・山の片貝・海の柏崎の越後三大花火と言われる。
江戸時代の鍵屋の有能な花火職人・清七あるいは新八といわれる番頭が、暖簾分けで玉屋に分家した原因は結局のところ、賃金闘争なのである。有能な人間が組織を離脱する原因は古今東西決まっている。最近の例では、青色発光ダイオードの日亜化学の中村修二博士、北島事務所の山本譲二、オリックスの中村紀洋三塁手、派閥抗争の政治家の先生達などである。賃金が上がるか下がるかは賭けである。男の本性はギャンブラーである。
組織は失敗すると無視するが、成功すると妬み、嫌がらせや虐めをして弱体化させ、効果が無いと抹殺するべく強硬手段にでる。玉屋の不慮の失火は、過失によるものか、放火によるものか記録は無い。火事は江戸の花と言われ、日常茶飯事であった。江戸所払いは過剰な刑罰のような気がする。大衆の人気者を妬んだ鍵屋の番頭が、奉行に賄賂を送り暗躍した汚職事件があったのだろう。不純な裁定で善良な庶民のささやかな楽しみを奪った、時の将軍は程なく交代することになる。
時が移り、やがて夏が来た平成の日本は、年金記録の事務の怠慢で、老人のささやかな楽しみを奪った、時の総理はまもなく交代することになる。歴史は繰り返すのである。
私が会社を退職した理由は賃金闘争でなく、定年と言う社会暴力の犠牲になったのである。その後、定年が延長され、後輩は優雅な物欲社会の生活を楽しんでいるという風評被害に遭っているが、恨みつらみを申し述べる未練は無い。
花火のはかない刹那の美に、人生の格調高い真・善・美を追及する文にする予定であったが、政権批判に筆がいく。自分の思うようには成らないのが、政治である。政治の垢にまみれ出した私の心の洗濯を感じ、比叡山の参禅が必要である。多忙で時間が無く叶わぬ夢であるから、焼酎で「心のアルコール消毒」を試みることにする。
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