風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

矢作橋の出会乃像

2014年02月24日 09時56分52秒 | 随想

日吉丸12才の時、奉公先から逃亡、空腹と疲労で東海道の矢作橋の上で寝込んだ時、野武士の集団が通る。

頭を蹴り、挨拶もしないのは無礼である。わびていけ。

集団の頭・蜂須賀小六はその度胸に惚れ込み、後の豊臣秀吉に橋の袂の岡崎城から八丁のまるや八丁味噌蔵の襲撃を命じる。

主人に見つかり咄嗟の機転で井戸に味噌樽の穴太衆積みに使う重石を投げ込み、人が落ちたと叫び、野武士の逃亡を助けた初手柄。

出会乃石像が架け替えを終わった矢作橋の袂に設置された。

京都五条大橋は牛若丸と弁慶、数寄屋橋は後宮春樹と氏家真知子、日本橋は国道1・4・6・14・15・17・20号が出会っている。橋は出会乃場である。

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