風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

酒は百薬の取締役 258号

2008年04月12日 17時51分17秒 | 随想
一人留守番をしている。四国区切り遍路旅の疲れ、定年まで残り一年を切った仕事の勤続疲労で体調が思わしくない。漠然とした不安が頭をもたげ、心を占有する。いらいらする、そわそわする、過去の嫌な思い出ばかりが何故か心に浮かぶ。本を読んでみるが、没入できない。好きなビデオで映像を見るが、心が晴れない。

昼で日が高いが酒を飲むことにする。少しの酒に酔い、寝てしまった。数時間の睡眠の後、目覚めた。不安が霧散している。酒は百薬の長、違う取締役である。

♪小原庄助さん、なんで身上つぶした?
  朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶした、
   あ~もっともだぁ、もっともだぁ♪

温泉を愛し、酒を愛し、小言を聞き流し、金勘定が出来ず、義理人情に生きる庄助さんの人生観は古き善き日本男児の人物像である。物・金万能の近代日本では風来坊と言われ、落ちこぼれで世間は決して許さない。

清水港の次郎長一家の任侠道は近代社会の嫌われ者である。
次郎長「酌をしてやる。」
法印大五郎「どうもすみませんねぇ。おっとっとっと、こぼれちゃぁ勿体ねぇ、いただきやす。」
次郎長「飲め。」
法印大五郎「へい。・・・・・・あーっ、・・・うめぇ!!うめぇなぁっ! あーぁ、湯上りで、お腹がすいているから、はらわたにぐーっっと染み渡って来やがる。」

次郎長伝といえば「石松三十石舟道中」が有名だが、たまたま舟に乗り合わせて石松の名と噂を懸命に思い出そうとしている旅人に石松が語り掛ける。
「あんた江戸っ子だってね、呑みねぇ、呑みねぇ、寿司食いねぇ」
これが実に美味そうに見事に酒を酌み交わす。

酒を飲んで熟睡したことで忘れてしまったが、私の不安は何だったのだろう。禅の話に「達磨安心」という話がある。達磨さんに弟子が尋ねる。
弟子「私は不安なんです」
達磨「不安を見せてみろ」
弟子「心はもので無いから見せられません」
達磨「安心を与えた」
たったこれだけの話である。

不安は自分の心が勝手に作り出している。心と体は一体であるから、体が疲れると心も疲れる。肉体の疲れは睡眠で取り除くことが出来る。心のわだかまりが原因で熟睡できないなら、その薬が酒なのである。不安は不健康な肉体の心が作り出している妄想なのである。

遊興三昧に耽り、疲労も無いのに酒を飲むと、酒は毒になる。人の心と同様に、酒は薬になったり、毒になったり、ころころコロコロ変わるのである。酒は人が飲むもので、酒に人が飲まれてはいけない。蛇足になるが睡眠の後に「目覚めた人」は仏陀になっている。ブッダはお釈迦様の国・インドの言葉で「目覚めた人」の意味である。

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