執着心が人間の放射能 2012年03月24日 06時30分04秒 | 随想 東日本大震災の瓦礫の山の巨大さに改めて驚く。 放射能が無ければ簡単に処理が進むのだろう。放射能も微量なら無視されるが大量になると始末が悪い、一極集中の大都会の人間と同様である。 大量生産、大量浪費の瓦礫の山、家庭内は足の踏み場も無い。処理が進まない放射能は物に対する執着である。 廃品回収業者が街を回る。 古いアナログテレビは無料で引き取るが、デジタルの大型テレビなら有料になる。 何故か? 低開発国では科学の先端技術のデジタルは映らないから売れない。 その意味で過剰な技術は放射能と同様に厄介者。 « 国税庁から春一番 | トップ | 便利はお通じ »
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