風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

温度計と寒暖計 445号

2009年01月19日 09時34分07秒 | 随想
分子運動が止まる状態が絶対零度のマイナス273.15℃で最低温度である。氷と水と水蒸気の混在する三重点は〇℃で、水が水蒸気になる温度が100℃である。100等分して表示する道具が摂氏温度計である。西洋科学主義の厳密な気温の定義である。

人間は温度を感覚として受け取る能力がある。5℃から35度℃の常温より高い場合には暖かい、低い場合、寒いと言葉に出す、曖昧な東洋自然主義なら寒暖計と表現する。

古き良き日本は寒暖計だった。しかし敗戦後の狩猟民族の進駐軍は曖昧な表現に我慢がならず、摂氏温度を押し付け温度計を定着させた。

科学主義、モノカネ万能、競争社会、格差礼賛の学校教育は、古来の日本人の情操教育を徹底的に破壊した。

氷点で氷が張るから寒い。氷点で氷が溶けるから暖かい。どちらも正解の性善説の東洋自然主義。

氷が張っても、溶けても〇℃以外は不正解の西洋科学主義は性悪説。

〇℃をエスキモーは大変暖かいと言い、アラブの王様は寒くて凍死すると不満を述べる国際化社会。双方の人種は嘘を言っていない。北にある北極は、南にある南極より暖かい。寒い北国には暖かい温泉がある。

ラグビーは敵味方に分かれて、必死に戦う。しかし方便のゲームで、試合時間が経過すると、敵も見方もないノーサイド。善悪を確定する覇権主義は子供の遊び。

禅の世界は競争社会である。しかし競争相手は他人でなく自分自身である。日本国も外国を相手の競争を放棄し、日本国と競争するのが戦争放棄の平和憲法の理念である。多くの価値を容認する曖昧表現の寒暖計が平和を維持するのである。

〇℃以外を絶対に認めない単神教より、寒暖表現の曖昧な多神教が世界をリードする時代は平和なのである。


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