風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

道後温泉は単純泉 173号

2007年10月04日 15時05分39秒 | 紀行文
四国を一人旅をした時のことである。道後温泉の松山ユースホステル・神泉園共和国に到着した。宿代4000円は税金で、納入すると国民として認知され、法律を守れば自由に振舞うことが出来るのである。パソコン・本・洗濯機・炊事場での自炊なんでも許されるのである。亭主は大統領で、女将さんは大蔵大臣である。部屋は個人の家屋と同じで、管理は入居者に任される。勝手に入ると家宅侵入罪で逮捕される。

525円の夕食の後、近くの道後温泉本館の神の湯に入浴した。昔の銭湯である。石の大きな湯船がひとつ有るだけの単純な風呂屋である。そして二階・三階は湯上りに仲間と談笑する部屋が用意され、木造建物は豪華で風格がある。何も無いから妙に落ち着くのである。入浴券は400円で1時間を目途にお楽しみくださいという説明である。古きよき日本がある。「坊ちゃん、泳ぐべからず」の木札が掲げてあるが、女湯には何と書いてあるのだろうか。 

聖徳太子が入浴した記録があるほどの歴史のある温泉である。地震で湧出が停止したことも再三再四で、苦難を乗り越えた温泉は、温かく優しいのである。その歴史の重みが、心も癒してくれる。

最近は都市に銭湯がたくさん出現して、サウナや露天風呂など研を競っている。新興のものが世間に認められるためには、過激な行為がないと認知されない。日蓮上人は「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」と先発鎌倉仏教を非難する過激な説法で大衆に認知された。そして時間が経過して伝統宗教に仲間入りすると大人しくなる。

アメリカ文化が物に執着するのは、伝統の無い心の焦りである。物の力の究極は軍事力で、物の力で人の心を破壊して世界制覇を成し遂げたのである。戦後日本はアメリカの戦略の優等生で、古き日本の心は無くなりつつある。米文化が小麦文化に変わり、魚を嫌い、牛肉を愛好し、歩くことをやめ、乗り物に頼り、日本語を粗末にして英語を駆使する文化を美徳とするような風潮を日本に植えつけた。そして攻撃的な狩猟民族の心に変えた。

アメリカ人を超えるアメリカ人になった日本人をアメリカ人は脅威に感じ、古き謙虚な日本人にするために、寿司や米文化を奨励し、心は禅の東洋哲学を推奨する。今となれば自然に順応した古き良き農耕民族に戻ることが、アメリカの望むところだろう。戦後レジュウームからの脱却である。安部元総理は勘違いした。

伝統の無いアメリカのコンプレックスに付き合うのは程々に、伝統の日本人の心を取り戻す時期に来ている。物に使われ振り回されている現状から脱却して、物を大事にして、人間が物を有効に活用して、物に日本人の心を注入する時である。

大歩危のノリさんと呑んで雑談した時の彼の話で、彼は古民家再生で実践している。
物の多さを競う豊かさを離脱して、もったいない、ありがとう、どうぞの質素倹約、感謝そして奉仕の心の豊かさの大切さを、道後温泉の単純豪華な湯船が教えてくれた。そして心身ともに温まったのである。道後温泉の成分は単純泉で、特に心に効能があるようである。


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