聖書に「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」
禅語に「一日なさざれば、1日食らわず」
西洋と東洋では表現が違うが、同じことを言っている。西洋は他律的で、東洋は自律的である。
働くとは傍を楽にすること、世間の役に立つことだろう。働くとなすは同義語。
逆読みするするならば、聖書は「働こうとする意志があれば、食べさす」、禅語は「自分がなしていると思えば、食らう」
誰が決めるかが、決定的な違いで、西洋思想は他律的だから格差が発生し、自分で自分を律するなら他人との相対比較が無いから格差もない。
国が善良な国民を支配するから格差が発生する。善良な国民が国を作れば格差は減少する事が期待される。
国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。