若年の時、運転中に赤信号で車を止められ、老人が横断するのを見ると無性にイライラしたものである。
老齢となり、動体視力が衰え、車を放棄して歩行機会が多くなると、横断歩道の赤信号に腹が立つのである。
両者の言い分を折衷して、政治的に解決したのが、横断陸橋や地下道の設置である。自動車が高速で平面車道を走り、歩行者はトボトボと立体歩道を歩かされる。
活発に活動できる時にはグッドアイディアと歓迎したが、人生の黄昏を迎えると足腰が痛み上り下りが苦痛である。人は自分の都合で善悪を判断する利己的な存在だ。
弱者救済の交通哲学を実践するなら、歩行者が平面を歩き、自動車が立体移動するのが仏様の交通ルールである。
最近は高速道路網が整備され、連続高架橋を走行するから、一般道の車が少なくなり、寿命のきた歩道橋が撤去され、平面歩道が増え高齢化社会に順応してきた。
人間社会は山登りと同じで、懸命に登るが、頂上を極めたら、下山するのである。後68年の寿命のガソリンが枯渇したら、路面電車が復活し、馬車に戻り、水戸黄門や東海道中膝栗毛が復活する。そしてシャッター街に活気が戻る。交通地獄を脱し、人間には明るい未来がある。
何故、人は山に登るのか?・・・・・其処に山があるから。
消えて無くなるものを追い求めるのが人間の本性で、直ぐに飛び去るチルチルミチルの青い鳥探しが如何しても必要なのである。人間は永遠に夢とロマンを探している。
老齢となり、動体視力が衰え、車を放棄して歩行機会が多くなると、横断歩道の赤信号に腹が立つのである。
両者の言い分を折衷して、政治的に解決したのが、横断陸橋や地下道の設置である。自動車が高速で平面車道を走り、歩行者はトボトボと立体歩道を歩かされる。
活発に活動できる時にはグッドアイディアと歓迎したが、人生の黄昏を迎えると足腰が痛み上り下りが苦痛である。人は自分の都合で善悪を判断する利己的な存在だ。
弱者救済の交通哲学を実践するなら、歩行者が平面を歩き、自動車が立体移動するのが仏様の交通ルールである。
最近は高速道路網が整備され、連続高架橋を走行するから、一般道の車が少なくなり、寿命のきた歩道橋が撤去され、平面歩道が増え高齢化社会に順応してきた。
人間社会は山登りと同じで、懸命に登るが、頂上を極めたら、下山するのである。後68年の寿命のガソリンが枯渇したら、路面電車が復活し、馬車に戻り、水戸黄門や東海道中膝栗毛が復活する。そしてシャッター街に活気が戻る。交通地獄を脱し、人間には明るい未来がある。
何故、人は山に登るのか?・・・・・其処に山があるから。
消えて無くなるものを追い求めるのが人間の本性で、直ぐに飛び去るチルチルミチルの青い鳥探しが如何しても必要なのである。人間は永遠に夢とロマンを探している。