雨だれの音で目が覚めた。気持ちよく酔っ払い寝込んだ大歩危・古民家宿「空音遊」の朝である。雨戸を開けて空を見上げると、雲が流れ青空が見え出した。遍路旅の最終日も天気が良さそうである。
JR四国の誕生日きっぷの有効期限連続3日間が終了したので、今日からは青春18きっぷによる鈍行列車旅が始まる。大歩危駅にノリさんに送ってもらい、7時52分の高知行きに乗車して9時39分に後免駅に到着した。50km程度の距離に時間を消費するのは、単線であるから特急列車に線路を空ける謙譲の美徳の結果である。9時41分の土佐くろしお鉄道・ごめんなはり線で「のいちんどんまん駅」に9時52分到着。
駅から28番札所までは平坦な自動車道の端の歩道を2km歩き、20分程度の距離である。途中に四国自動車博物館がある。若い時に心が躍ったポルシェ906レーシングカーが飾ってある。入館したいところだが、仏様が待っているから、割愛する。
大日寺の本尊は大日如来、真言は「おん ばざら だどばん」。10時30分に出発、29番札所までの7.5kmを歩き始める。田園風景の水田の農道を歩く遍路旅の原風景である。
3kmほど歩くと、「お遍路さん接待所・いも天の西岡」の看板を見つけた。昼飯の時間なので、お茶の接待を頂戴して、いも天を購入して食べようと思い立ち寄った。皿に大盛りの薩摩芋の天ぷらとお茶がすぐに出てくる。4畳半程度のログハウスで、年老いたおっさんが一人でいも天のみを販売している。常連客に渡す300円分はかなりの分量がある。
しばし雑談して、勘定を精算する時に「お遍路さんから頂きません」 の言葉である。これでは食い逃げと同じではないか。都会の犯罪行為が、四国遍路旅では許されるのである。そして、菅笠・白衣・杖の無い、無礼なハンチング帽でジャンパー姿の私を「お遍路さん」 と認知してくれることが嬉しいのである。有り難く接待を頂戴することにした。四国は私を素直にさせる。
徒歩を再開し13時に29番国分寺に辿り着いた。本尊は千手観世音菩薩・真言は「おんばざら たらま きりく」。本堂の前の枝垂桜が快晴の空の下で満開の美しい寺である。
6.9km先の30番札所を目的地に定め、13時15分に出発した。国分川の川岸を歩き、川に別れを告げ、蒲原の遍路小屋5号に14時15分に到着。足の裏に違和感があるので、従兄の正浩さんに頂いた肉刺(まめ)防止のテープを巻こうと思い靴を脱いだとき、軽トラックが停車して、地元の農家のオジサン風の老人が寄ってくる。警戒して身構えると「善楽寺への道を教えてください」
吃驚した。お遍路さんなら、白衣と菅笠と杖を持つべきである。道案内のボランティアを志願して便乗させて頂く。14時30分に善楽寺に到着した。本尊は阿弥陀如来。真言は「おん あみりた ていぜい からうん」
私の本日の旅程は終了した。徒歩で、土佐一宮(とさいっく)駅に行き、土讃線で高知に戻り、23時6分のムーンライト高知まで、時間を消費するつもりであるが、しかし・・・。
弘法大師・空海さんの四国では、奇想天外・波乱万丈で意外なことが頻繁に起こるのである。風来坊の柔軟な思考回路がないと、精神に異常をきたす。
あの「地元の農家のオジサン」風の無礼なお遍路さんが寄ってくる。無礼者同士の、類は友を呼ぶ・同病相哀れむということである。私にナビゲーター役を要請するのである。納経門限の5時まで回れるだけ札所を打ちたい様子である。風来坊の私は喜んで受諾した。
軽トラックによる遍路旅は超特急である。31番竹林寺・32番禅師峰寺・33番雪蹊寺・34番種間寺。時間と勝負のスタンプラリーである。現在16時30分である。35番清滝寺に向かって懸命に走る。閉門時間に間に合うか微妙である。清滝寺に到着した。17時5分である。残念時間切れである。
軽トラックのオジサンは69歳で、浄土真宗の信者である。本堂で南無阿弥陀仏と心の中で唱え、朱印帳と白衣に押印してもらうだけである。姫路を早朝に出て、明石大橋・淡路島・鳴門大橋を走行し、24番最御崎寺から順番に、一日で11ヶ寺御参り出来たことを大変に喜んでいる。歩き遍路のロマンが消えたが、人様が喜んでくださるなら、阿弥陀様はきっと許してくださる。私も浄土真宗の檀家である。
近くの土讃線波川駅まで送って頂き、お別れした。名前を聞かなかったし、名乗らなかった。「かんぽの宿伊野」に宿泊するようである。17時36分に乗車、高知駅に18時7分に到着した。コインロッカーにリュックを預け、徒歩で「はりまや橋」に行き、大歩危のノリさんお勧めの「ひろめ市場」で鰹のたたき・鯨汁など肴にビールを飲み、徒歩で高知駅に22時過ぎに到着した。22時40分にムーンライト高知に乗車した。29日6時44分に京都駅に着き、東海道線の快速を乗り継ぎ、10時過ぎに自宅に到着した。長い旅が終わった。終わりは新たな旅の始まりである。青春18きっぷの残り2回分を如何に消化するか思案を始めよう。
JR四国の誕生日きっぷの有効期限連続3日間が終了したので、今日からは青春18きっぷによる鈍行列車旅が始まる。大歩危駅にノリさんに送ってもらい、7時52分の高知行きに乗車して9時39分に後免駅に到着した。50km程度の距離に時間を消費するのは、単線であるから特急列車に線路を空ける謙譲の美徳の結果である。9時41分の土佐くろしお鉄道・ごめんなはり線で「のいちんどんまん駅」に9時52分到着。
駅から28番札所までは平坦な自動車道の端の歩道を2km歩き、20分程度の距離である。途中に四国自動車博物館がある。若い時に心が躍ったポルシェ906レーシングカーが飾ってある。入館したいところだが、仏様が待っているから、割愛する。
大日寺の本尊は大日如来、真言は「おん ばざら だどばん」。10時30分に出発、29番札所までの7.5kmを歩き始める。田園風景の水田の農道を歩く遍路旅の原風景である。
3kmほど歩くと、「お遍路さん接待所・いも天の西岡」の看板を見つけた。昼飯の時間なので、お茶の接待を頂戴して、いも天を購入して食べようと思い立ち寄った。皿に大盛りの薩摩芋の天ぷらとお茶がすぐに出てくる。4畳半程度のログハウスで、年老いたおっさんが一人でいも天のみを販売している。常連客に渡す300円分はかなりの分量がある。
しばし雑談して、勘定を精算する時に「お遍路さんから頂きません」 の言葉である。これでは食い逃げと同じではないか。都会の犯罪行為が、四国遍路旅では許されるのである。そして、菅笠・白衣・杖の無い、無礼なハンチング帽でジャンパー姿の私を「お遍路さん」 と認知してくれることが嬉しいのである。有り難く接待を頂戴することにした。四国は私を素直にさせる。
徒歩を再開し13時に29番国分寺に辿り着いた。本尊は千手観世音菩薩・真言は「おんばざら たらま きりく」。本堂の前の枝垂桜が快晴の空の下で満開の美しい寺である。
6.9km先の30番札所を目的地に定め、13時15分に出発した。国分川の川岸を歩き、川に別れを告げ、蒲原の遍路小屋5号に14時15分に到着。足の裏に違和感があるので、従兄の正浩さんに頂いた肉刺(まめ)防止のテープを巻こうと思い靴を脱いだとき、軽トラックが停車して、地元の農家のオジサン風の老人が寄ってくる。警戒して身構えると「善楽寺への道を教えてください」
吃驚した。お遍路さんなら、白衣と菅笠と杖を持つべきである。道案内のボランティアを志願して便乗させて頂く。14時30分に善楽寺に到着した。本尊は阿弥陀如来。真言は「おん あみりた ていぜい からうん」
私の本日の旅程は終了した。徒歩で、土佐一宮(とさいっく)駅に行き、土讃線で高知に戻り、23時6分のムーンライト高知まで、時間を消費するつもりであるが、しかし・・・。
弘法大師・空海さんの四国では、奇想天外・波乱万丈で意外なことが頻繁に起こるのである。風来坊の柔軟な思考回路がないと、精神に異常をきたす。
あの「地元の農家のオジサン」風の無礼なお遍路さんが寄ってくる。無礼者同士の、類は友を呼ぶ・同病相哀れむということである。私にナビゲーター役を要請するのである。納経門限の5時まで回れるだけ札所を打ちたい様子である。風来坊の私は喜んで受諾した。
軽トラックによる遍路旅は超特急である。31番竹林寺・32番禅師峰寺・33番雪蹊寺・34番種間寺。時間と勝負のスタンプラリーである。現在16時30分である。35番清滝寺に向かって懸命に走る。閉門時間に間に合うか微妙である。清滝寺に到着した。17時5分である。残念時間切れである。
軽トラックのオジサンは69歳で、浄土真宗の信者である。本堂で南無阿弥陀仏と心の中で唱え、朱印帳と白衣に押印してもらうだけである。姫路を早朝に出て、明石大橋・淡路島・鳴門大橋を走行し、24番最御崎寺から順番に、一日で11ヶ寺御参り出来たことを大変に喜んでいる。歩き遍路のロマンが消えたが、人様が喜んでくださるなら、阿弥陀様はきっと許してくださる。私も浄土真宗の檀家である。
近くの土讃線波川駅まで送って頂き、お別れした。名前を聞かなかったし、名乗らなかった。「かんぽの宿伊野」に宿泊するようである。17時36分に乗車、高知駅に18時7分に到着した。コインロッカーにリュックを預け、徒歩で「はりまや橋」に行き、大歩危のノリさんお勧めの「ひろめ市場」で鰹のたたき・鯨汁など肴にビールを飲み、徒歩で高知駅に22時過ぎに到着した。22時40分にムーンライト高知に乗車した。29日6時44分に京都駅に着き、東海道線の快速を乗り継ぎ、10時過ぎに自宅に到着した。長い旅が終わった。終わりは新たな旅の始まりである。青春18きっぷの残り2回分を如何に消化するか思案を始めよう。