風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

無駄が多いと重いリュック 251号

2008年04月03日 12時15分04秒 | 四国遍路
四日間、お四国を歩いた。遍路旅である。着替えの下着・シャツ・ズボン・本・洗面道具・電気かみそり・雨合羽・カメラ・携帯電話・充電器・ラジオ・水筒などたくさん詰め込んだリュックは15kg程度になりかなり重い。

元気な時は負担にならないが、平坦な道でも、歩き続けて疲れが溜まると重荷になり、しばしば立ち止まる原因となる。旅館にリュックを預け、身軽になると過酷な山道でも苦しまないで済む。

帰宅して思うことは、リュックの中には不必要なものが多すぎた。着替えの下着1セットと洗面具そして雨具だけが必需品で、5kgに満たない重量である。衣類は宿で洗濯して、乾燥機にかければ翌朝には乾いている。ひげ面でも見る人は無く、お四国の仏様は許してくださる。そして究極の不用品は本である。疲労困憊ですぐに寝てしまい、読む時間が無い。必要な情報は事前に勉強し、土地の人に聞けば教えてくれ、重量は0kgである。

最近、息子の三男坊が会社を退職して、荷物と共に帰宅した。新たな仕事に就くのだろう。それにしても物持ちである。所帯道具が揃っている。冷蔵庫・洗濯機・電子レンジ・炊飯器・テーブル無いものは無い。狭い我が家は物置になってしまった。

同居していたら、全ていらないものである。共用すればよいのである。全て無駄である。物欲社会の豊かさは、無駄の豊かさなのである。不用品で満ち溢れたリュックを背負って人生街道を喘いで歩いている。大家族制ならもっと楽しい人生になる。

戦後の学校教育は無駄な知識が多いことが優秀であるという教育企業の宣伝で、一億総学士様になっている。本当の学士様の仕事は多くは無いと思うが、学士様用に無駄な仕事を創り、無駄な仕事が、また無駄な仕事を創り出すという、無駄の連鎖反応、無駄の核分裂がもので栄える豊かな国日本である。

そして知識という鎧兜で武装した人間は、他人の喜怒哀楽の心を跳ね返してしまい、自分の優しい心は、リュックの中にしまい込み、外部に出さない。良心で満ち溢れた重いリュックに押しつぶされて、もがき苦しんでいる。

知識の鎧兜を脱ぎ捨て、裸一貫で、リュックの中身の良心を他人に分け与え軽くすると、もっと楽に生きられると思うのである。生きる為の知識はわずかである。トイレのスリッパを揃える。食事は残さず食べる。年長者を尊敬する・・・・・・。

そして口から出る言葉は、ありがとう・どうぞ・おかげさまで・・・・・。

重いリュックを背負って、苦しんで遍路道を歩き、お寺の境内でリュックを下ろして気が付いたことである。

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