風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

森の石松 97号

2007年06月05日 17時06分05秒 | 随想
やくざには少年時代に恐怖感を持っており、正義漢だった青年時代には憎悪感を持っていたのであるが、最近は任侠道に関心が有る。清水次郎長一家の森の石松や吉良の仁吉を知ったからである。そして偽者の指導者が横行していることに対する憤慨がある。問題解決を水戸黄門にお願いしたいが、次郎長一家で我慢をする。

次郎長が単なるのゴロツキの集まりの大将であったなら、天下の大親分とは言われなかった。その子分衆がまた凄くて、それぞれが地域の実力者で、筋金入りの手のつけられない暴れん坊、森の石松や、槍の使い手大政、念仏を唱えて人を切る法印大五郎など、個性豊かなならず者を束ねていたことで、次郎長からは、人望・人徳と並みならぬ器量が伝わってくる。黒澤明監督の『七人の侍』の島田勘兵衛やアメリカ映画『荒野の七人』(The Magnificent Seven)のユル・ブリンナーと重複するのである。

演歌を歌い始めた頃よく歌ったのが、宮本旅人作詩・ 鈴木哲夫作曲の旅姿三人男という演歌である。昭和13年に流行したという。
その3番の歌詞は「腕と度胸じゃ 負けないが 人情からめば ついほろり 見えぬ片眼に 出る涙 森の石松 森の石松 よい男」
森の石松は次郎長の子分となった。酒飲みの荒くれだが義理人情に厚く、どこか間が抜けており、温泉地の賭場で いんちきサイコロを使って100両儲けたと思ったら翌日以降300両負けて次郎長の湯治費を丸ごとスッてしまい、仲間から「馬鹿は死ななきゃ直らない」とカラカワレタ憎めない性格である。

浪曲師の二代目広沢虎造の十八番の一つ「石松三十石舟」の中で石松が、たまたま舟に乗り合わせて石松の名と噂を懸命に思い出そうとしている旅人に「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」と勧める有名な台詞は虎造の創作である。

「政界の暴れん坊」の異名をもち、羽田孜、渡部恒三、竹下登ら政治家仲間は「ハマちゃん」と呼んでいた浜田幸一元衆議院議員(ハマコー)や、私の愛する映画、『釣り馬鹿日誌』の浜崎伝助(ハマちゃん)やライブドアの堀江貴文社長と森の石松は重なるのである。堀衛門は任侠道を極めるか、単なるやくざで終わるかは、本人の今後の精進努力次第である。元やくざの作家安部譲二は「平気で損ができるのが任侠で、損ができないのは任侠ではない」と喝破している。

警視庁の組織犯罪対策部や警察本部の捜査四課に監視されている輩は御免だが、弱きを助け、巨悪に立ち向かう任侠の心のある人の行動は、陰ながら見守りたいのである。法に外れる行動は文部教官の親爺から否定されているので、積極的に応援する事は出来ないのである。親爺の遺言である。問題を他人の問題にすり替えて、保身に走る性格は良くない。自分が主人公になり主体性を持って行動することの大切なことは、お釈迦様の教えであるが、喧嘩する腕と度胸がないので、畑の草取りに精を出し、微力ながら世間のお役に立ちたいと思っているのである。女房は不満であるが、私との喧嘩で無敗の宮本武蔵の様な人であるから、もし男なら善い大親分になっていただろう。

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