奈良時代の倶舎宗(くしゃしゅう)・三論宗・成実宗(じょうじつしゅう)・法相宗・律宗・華厳宗に続いて、平安時代に最澄の天台宗と空海の密教が伝来した。両者は仏様には、三つの大きな秘密(三密)があるという。三密とは身密・口密・意密の三つを言い、それは、如来の在り方を意味し、それに対して我々凡夫の在り方は、「三業」と言い、「業」とは働きを意味する。つまり「密」は秘密の密であり、仏の働きは凡夫にとっては、測りしれないから、秘密ということになる。
身密は仏様の身体的行動・口密は言語行動・意密は心の有様で、身業・口業・意業は人間の身体・言葉・心の活動に対応する。仏様の三密と人間の三業が一致すると即身成仏で成し遂げた人は、超人弘法大師空海だけである。鎌倉時代になると、三密を一人で達成できないことに気が付いた法然・道元・日蓮・親鸞は三密の一つを選択して一密を極めたのである。道元は身密で只管打座であり、法然は「南無阿弥陀仏」の口唱念仏、日蓮は「南無法蓮華教」の口唱題目の口密、親鸞は阿弥陀仏を信心する意密に特化した宗派を開いた。それぞれ曹洞宗であり、浄土宗、日蓮宗、浄土真宗である。
現代人は、金の力で、世界中を飛び回り、物を買い続け、粗末にする身体的行動の身業や酒を飲んで喋り捲ったり(反省している)、下手糞なカラオケを歌い続けたり(反省している)、ブログでくだらない文章を綴る(反省している)言語行動の口業の精進努力は、仏様が驚愕しているだろうが、すべて無駄な努力なのである。意業が欠落しているからである。自己中心中毒になり、奉仕精神を忘れている。
「言葉」一つで、人を楽しくもさせるし、怒らせることも出来るし、喜ばすことも出来るし、悲しくもさせることが出来る。この文章で、人が怒り、悲しんだら、私自身が「自己中」の重症患者で、奉仕精神を忘れてしまった見本で、自己嫌悪に陥るのである。身から出た錆びである。
追記 十善戒を三密に分類する記述を発見したので追加する。
身密 殺さない・盗まない・邪淫しない
口密 嘘をつかない・お世辞をいわない・悪口をいわない・二枚舌をつかわない
意密 欲張らない・怒らない・不正な考えをしない
身密は仏様の身体的行動・口密は言語行動・意密は心の有様で、身業・口業・意業は人間の身体・言葉・心の活動に対応する。仏様の三密と人間の三業が一致すると即身成仏で成し遂げた人は、超人弘法大師空海だけである。鎌倉時代になると、三密を一人で達成できないことに気が付いた法然・道元・日蓮・親鸞は三密の一つを選択して一密を極めたのである。道元は身密で只管打座であり、法然は「南無阿弥陀仏」の口唱念仏、日蓮は「南無法蓮華教」の口唱題目の口密、親鸞は阿弥陀仏を信心する意密に特化した宗派を開いた。それぞれ曹洞宗であり、浄土宗、日蓮宗、浄土真宗である。
現代人は、金の力で、世界中を飛び回り、物を買い続け、粗末にする身体的行動の身業や酒を飲んで喋り捲ったり(反省している)、下手糞なカラオケを歌い続けたり(反省している)、ブログでくだらない文章を綴る(反省している)言語行動の口業の精進努力は、仏様が驚愕しているだろうが、すべて無駄な努力なのである。意業が欠落しているからである。自己中心中毒になり、奉仕精神を忘れている。
「言葉」一つで、人を楽しくもさせるし、怒らせることも出来るし、喜ばすことも出来るし、悲しくもさせることが出来る。この文章で、人が怒り、悲しんだら、私自身が「自己中」の重症患者で、奉仕精神を忘れてしまった見本で、自己嫌悪に陥るのである。身から出た錆びである。
追記 十善戒を三密に分類する記述を発見したので追加する。
身密 殺さない・盗まない・邪淫しない
口密 嘘をつかない・お世辞をいわない・悪口をいわない・二枚舌をつかわない
意密 欲張らない・怒らない・不正な考えをしない