禿頭の老人は禅僧と見なされるのだろうか、旅の途上で身の上相談をされた。
釧路から「スーパーおおぞら」で南千歳で乗換、「スーパー北斗」の指定のグリーンに着席し函館に向かう。
北の大地の旅も最後だろうと思い、沿線風景の写真撮影に熱中し、大沼公園からの駒ケ岳、絶景との事前情報を基に離席しデッキで待機する。
初老の男性がデッキに現れ話し始める。
シマフクロウやオジロワシの写真撮影が目的で米国から飛んできて二週間の予定で知床に行ってきた。
米国に派遣され長期滞在し定年を迎えた。
子供達は米国で所帯を持ち永住するし、祖国の親類縁者とは疎遠になっている。
東京に持ち家が有り、米国の医療費は極めて高額で、将来の支払いに不安が有る。
米国に留まるべきか、祖国に帰るべきか、それが問題と悩みを吐露する。
日本は良い国です、その様に答えた。
人生の主人公は自分、他人の言葉で右往左往する事もない、自己責任で思う様にすれば其れが最善、禅僧の言葉である。
多分、釧路から一緒だったのだろう、無邪気に沿線風景の写真撮影に熱中する立ち居振る舞いを評価し、悩みなき大富豪と誤解したのだろうか、高血圧で不整脈があり、親戚友人知人の老病死の悲しみを抱え、ローンを組んでの旅人とは思わない。