風来坊参男坊

思い付くまま、気が向くまま、記述する雑文。好奇心は若さの秘訣。退屈なら屁理屈が心の良薬。

苦しい時の阿弥陀

2022年01月26日 12時16分03秒 | 随想

両親や弟夫妻の葬儀は江戸時代の遺産の檀家制度の浄土真宗で執り行った。戦後教育制度は憲法に定める宗教の自由を理由に除外するから、宗教に無関心で有ったが、欧米では無宗教である事は共産主義者と見なされ軽蔑される。従って仏教徒である事宣言したのだった。

両親の葬儀で僧侶の浄土三部経を延々一時間を越えて聞かされ、正信偈を唱える事は苦痛だった。親戚や知人の葬儀でも同様な体験をすると、阿弥陀経とは正信偈とは、好奇心を刺激され勉強するようになる。

僧侶の話は格調が高く難解であるが、ネットの解説は千差万別、解り易い記述もある。

阿弥陀経は要するにお釈迦様が仏さんの頂点に立つ阿弥陀仏の本願、そして安住の地として極楽浄土の存在を信じ、信心する事を推奨する問わず語りの話の様だ。

正信偈はお釈迦様の阿弥陀仏礼賛をインドの龍樹・天親、中国の曇鸞・道綽・善導、日本の源信・源空の7人の高僧も保証するから私・親鸞も信心するから、皆さんも私同様に信じ、共に極楽に往生しようじゃないかと言っているのだろう。

非力な凡人の老人は何かにすがりたい、それを望み、希望するから阿弥陀様の本願を信じたいと思うのである、信じるものが有る凡人は救われるのだろう。

聖徳太子も善光寺の一光三尊阿弥陀仏を信じ、心の安穏を得、長く日本人の心の琴線に触れる一七条憲法を制定したのだった。

人類の英知の文化が崩壊し、悪病が蔓延し、天変地異が頻発する今こそ念仏するのが良いだろう、オンアミリタテイゼイカラウン・南無阿弥陀仏・阿弥陀様よろしく!


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