古希を過ぎるまで生きていると様々な記憶が蓄積する。そしてある刺激があると突然蘇る。仏教の唯識なら、阿頼耶識から末那識を経由して意識すると説明する。
宮本武蔵と吉岡一門との京都一乗寺下り松最終決戦の場を訪れた記述を知人のブログで知った。場所を調べる過程で過去の記憶が突然蘇る。
女房の実家の安城市和泉郷出身の石川丈山の詩仙堂、そして比叡山の一乗止観院即ち根本中堂から雲母坂を下り赤山禅院を訪れた時、二回付近に行っている。
その時は千日回峰行に関心が向かい、昔に読んだ吉川英治の宮本武蔵が意識に無く通過した。
意識に無いモノは、有っても無いのである。